突然8年前のデータを(笑)

こんばんは。ぬっこです。

 

ちょっと過去データを一気に流し込みました。

もともと、yahooブログで書いていたのがあり、投稿しなくなったのが8年前。

 

サービス終了でデータが全部消えるというので、このままそっと消してもよかったんだけど、なんとなく足跡が全部消えるのはもったいない気がして、こちらにデータを全部移行しました。

 

時は8年前(2011年)で止まっています。

遡った最初の記事は2005年。

つまり、14年も前の記事です。

自分で書いたのに自分じゃないみたい。

覚えていません。

ということで、多分今後更新するのか分かりませんが、一応「柳に風」リターンズ

新たな門出です(無理矢理感半端ない笑)

 

 

血管攻略

よく闘ったと満足した私。
いやいやこれからが本当の始まり。
早く治して復職せねば。

この闘いは私にはどうにもならない、看護士さんとお医者さんの手腕によるのだけれど。

というのは私、恐ろしく血管が細い。
現在刺し跡12箇所。

チクっとしますよーなんて言っている場合ではなく
とにかくどこでも良いから、針が血管に入ってさえいば良いから、と言った所。
血管に入らなければ薬は当然入っていかない。両腕は内出血だらけ。

痛々しいったらありゃしない。

最近は一度刺した針をそのまま滅菌テープで固定しておき、
また点滴する時にいちいち刺さなくても済むようになった。

でも、もともとの血管が心もとないせいか、
すぐ外れる。

そして、ぬっこの血管攻略の猛者求む!という飽くなき闘いが日々続く。

闘う

とりあえず這ってでも医者へ。

荻窪にいた時は皆に助けてもらったな。
そんな事を思いほろりほろりと涙。

もともと扁桃腺もちとはいえ、今までの痛みと明らかに違うのはクビまで腫れている事。

おたふく風邪なんじゃ?なんてくらい耳の下からクビまでまんべんなく腫れて痛む。

薬を飲んでも下がらない熱。
変わらない痛み。

いったいどうなってるのと腐っていた、3軒目の医者で、内科じゃ無理と匙を投げられた。

そのまま別の耳鼻科へ。
これは記念すべき数字ですよっ!!と白血球中のなんとかという数値が
ものすごい事になっていると。
(お医者さん1人で興奮気味でそれがどんなものなのかよく聞けなかった。)

自分が入院加療レベルの事になっていた事を、ここで知る事になる。

次の日の事…が正直よく覚えておらず気がついたら両親を呼んでいてどうやって来たか分からないが総合病院に来ており、

案の定その場で入院する事になり、やれパジャマだやれスリッパだとてんやわんや。

当の私。意識ほぼなし。

1人でよく闘った。私。
あてがわれた氷枕の冷たさを心地よく思いながら、眠りに落ちたのだった

序章

私が住む湯河原の病院事情はすこぶる良くない。

産婦人科もなければ、夜間見てくれる病院も皆無。
消防署に助けを乞うたら、隣の小田原市内か熱海市内容まで行くように、と。

熱は39℃4分。
頭がフラフラするし意識は朦朧とする。
どうやって行けば?
タクシー代は安く見積もっも手持ちが厳しい為無理。
電車は?駅まで徒歩20分
こんな状態じゃ歩けない。
誰かに助けを乞う。
いや、仕事で忙しくて皆無理だ。

こうなると最も良くない選択をとるはめに。


それは…自力で車で熱海まで行く事。。
決めたら揺らがない。

揺らがないのは意思だけでユラユラ二重にも三重にも揺れる景色。
危険極まりない。

結局縁石に乗り上げる事1回、バックしてぶつける事1回。
何とか病院へ。

それが先週末の出来事。

そこから病院行脚が始まることとなる。

入院

医者に行けば、即刻病が治るという訳ではない。

そうあって欲しいと思うから。

即刻治るなら誰だって医者にいくだろう。
行くのを渋りたいのは不調を見ないふりしているか医者を信用していないかのどちらかだろうか。


そんな私。
意外と体調をすぐに悪くするせいもあって、
よく医者にかかる方だと思う。
今年に入ってからの発熱、5回。あとはいろいろ、諸々。

そして私は今、点滴に繋がれなんと入院している。

溶連菌感染症による急性咽頭炎
喉が真っ白に膿み痛くて何も食べられない。
外見では熱なんかとんでもないっというタイプにも見えなくもないのだが。

おかげさまで流動食、全部マグカップに入ったドロドロの液体で、かなりのティスティング能力要する飲み物である。

更には場合によっては扁桃腺ごと切除する話まで。

おぉ
こわやこわや

たた年に4、5度も発熱に苦しまされるくらいなら
いっそなくても良いのかもしれないと開き直る私もいるのだが。

ところで入院中にブログを書く事は、世の意識に反する事なのだろうか。

ぬっこ、ミラクル弁当に悩まされる

さて、沈黙して数カ月。
無事に試用期間を終えられそうである。
ブランク1年半、戻ったら一階級特進。
…退役軍人みたいだが。

頑張りすぎるのは相変わらずだけれど、とりあえず元気だ。
 
最近のエピソード。
会社の昼食、夕食は残念ながらよくある「まかない」ではない。
仕出し弁当だ。
それがここだけの話、美味しくないったら、もう。
 
油がたぎる天丼。
味のしない麻婆豆腐。
卵の殻でじゃりっとする親子丼。
何を揚げてあるのか解らないコロッケ。
想像もつかないミラクルの連続である。
 
でも会社で補助も出るし安いのだ。
だから食べていた。そう。過去形だ。
 
天丼(通称 油丼)は、なんて、すだち酢をかけて食べていたぐらい。
寿司飯のようになって意外とさっぱり食べられる。
じっとり油もさっぱり。
こうなるともはや味なんぞどうでもいい、いかにして「食べる」か。
ある意味サバイバル生活。
 
なーんて思っていたら。
全身に発疹が出来た。
何が原因か解らない。ただただ、物凄く痒い。
持病で飲んでいる薬の副作用なのか、それとも栄養ドリンクのがぶ飲みのせいなのか。
困り果てて医者に行ったら、日光過敏症と診断。
外になんて出ないのに!
朝出勤は車、そして夜中まで仕事して帰る生活のいつどこで日光を浴びるというのか。
どうも腑に落ちない。
なんせパンツスーツで日光に当たらない両足まで拡散した発疹だ。
やっぱりおかしい。
 
そんなとある日。
急性胃腸炎で倒れた。
何も食べられなくなって、救急病院にへろへろになって辿り着いて言われたこと。
「何か食生活、変わりましたか?」
前日食べたのは、朝抜き、昼弁当、夜弁当…弁当しか口にしていない。
この話の流れなら結果は読めるだろう。
答えは弁当。
 
私以外、そんな思いをしている人はいない。
毎日ほかの人たちはそのひどくまずい弁当を食べている。
でも、食生活をがらりと一新しようとまずその弁当を止めて1週間。
きれいさっぱりその四六時中苦しまされた発疹が消えたではないか。
 
人間何がどう繋がって不具合が出るかわからない。
ただ私にはその弁当は決定的に身体に合わなかった事だけは間違いない。

心機一転

今日から心機一転である。
私は熱海にいながら箱根の予約をとっていたのだが、内部異動で今日から熱海チームに。

まずはご挨拶、という訳で出勤前に皆にご挨拶メール。
それから小さなドーナツを人数分。

ふつつか者ですがよろしくお願いいたします、と出勤早々に配って深々と頭を下げた私。

おばあちゃんみたい、と笑われながら。
でもいいんだ。
こういう事はきちんとしなくちゃ気が済まない。


別に異動と言っても担当が変わるだけなので事務所は一緒。

どうという訳ではないのだけれど、
違う宿の予約を取るようになる訳だから
仕事の要領も違う。
やはり戸惑いも気疲れもする。

ただ、みんな温かく迎えてくれた事がすごく嬉しくて、
大した仕事が出来た訳じゃないけれども何となく
心地よい疲労と充実感で1日を終えたのだった。

昨夜、上司は半分徹夜で事務所の模様替え。
皆が働きやすい環境にするために。
私が心機一転頑張れるように。

最近、お客様のために、という思いの他に、一緒に働く皆のために、という思いが芽生え始めている。

小さな宿で少ない人数だからこそ必要とされるチームワーク。

支えあって助けあってこそいい仕事が出来るんだな、としみじみ思う。