we 東西落語


先日は人形町での落語会。

東西ユニットwe

江戸落語の二人と上方落語の二人のユニットの会である。


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大阪と東京で定期的に行われているものなのだけれども、今回私は初参加。

 

こういう落語会へ行く前に時間があればその土地の立ち飲み屋か古典酒場を探して訪れるのが、もうひとつの楽しみ。

 

今回はこちらへ。


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酒の店 笹新

中はなかなかの歴史を感じさせるコの字カウンター。

 

まずは生ビールに〆鯖


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市販の酢締めし過ぎて白っぽくなっている〆鯖があるけれど、私はあれは好きではない。

ほんのりお酢を感じるかどうかのものが好きだ。ここの〆鯖は文句なし。

 

ここで、壁一面に貼られたメニューの短冊を見たら前菜350円の文字が目に飛び込んで来た。

 

本来ファーストチョイスはこれだったか!


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メヒカリの南蛮漬けにかぼちゃの煮付け、うな肝にナスと唐辛子の煮物、川エビの佃煮品数はあるけどいかんせん寂しい感じ。

 

本来私がよく行く激安立ち飲み屋と違って、歴史ある古典酒場を楽しむ予算は大体2,500円ぐらい。別に安い訳では無い。由緒あるお店なのだから。

 

でも、1品の量が多かったりして沢山は食べられないし、落語会の前なので時間も限られサックリ飲みたかった私はここでおいとまする事にして1,500円ほどでフィニッシュ。(雰囲気を味わいたかった)

 

そして落語会へ。

右から桂宮治さん、入船亭小辰さん

桂雀太さん、桂そうばさん。


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こんな風に撮影タイムがあった後で、じゃんけんで順番決め。撮影時間を設けてくれる落語会は珍しい。

 

最初は雀太さん。

饅頭怖いは、

暇をもてあました街の者が数名集まり、それぞれ嫌いなもの、怖いものを言いあっていく。「クモ」「ヘビ」「アリ」などと言い合う中にひとり、「いい若い者がくだらないものを怖がるとは情けない。世の中に怖いものなどあるものか」とうそぶく男(上方では「みっつぁん」、他の男が「本当に怖いものはないのか」と聞くと、うそぶいていた男はしぶしぶ「本当はある」と白状する。「では、何が嫌いなのか」と念を押され、男は小声で「まんじゅう」とつぶやく。男はその後、「まんじゅうの話をしているだけで気分が悪くなった」と言い出し、隣の部屋で(あるいは、自分の長屋へ帰って)寝てしまう。

残った男たちは「あいつは気に食わないから、まんじゅう攻めにして脅してやろう」と、金を出し合い、まんじゅうをたくさん買いこんで男の寝ている部屋へどんどん投げ込む。目覚めた男は声を上げ、ひどく狼狽してみせながらも、「こんな怖いものは食べてしまって、なくしてしまおう」「うますぎて、怖い」などと言ってまんじゅうを全部食べてしまう。一部始終をのぞいて見ていた男たちは、男にだまされていたことに気付く。怒った男たちが男をなじり、「お前が本当に怖いものは何だ!」と聞くと、

「このへんで、濃いお茶が1杯怖い」。

(Wikipediaより)

 

江戸落語では前座噺(短い話を前座さんが本題の落語家さんが話す前にやる軽く短い話)なのだが、上方落語だと、ここに女性の幽霊を見た夢を見たというエピソードが加わって、 30分ほどの長い噺になっていた事にビックリ。江戸落語上方落語はやっぱり違う。


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その後は小辰さんのいかけや

いかけ屋(道端で店を出し、壊れた鍋、釜などの鋳物製品を溶接によって修理する業者)と町場の悪ガキたちとのやりとりを描いた噺。

 

小辰さんは、元々の落語をアレンジしたりする事なく本寸法のものが多い。緩急自在で声に強弱があり、好きな落語家さんの1人。

そんな中で振り切った演じ方をしたこの日の噺は面白かった。

 

その後仲入りを挟んで

宮治さん。

七段目(しちだんめ)は、

常軌を逸した芝居マニアの若旦那は、家業そっちのけで芝居小屋に出入りしている。帰ってこない若旦那が遅く戻ってきた事に旦那が小言を言い、2階へ追い払っても芝居の真似をしている。それを注意しようとした番頭さんが小僧の定吉を2階へいかせると、実は芝居好きの定吉は若旦那と一緒に芝居の真似を始めてしまい、歌舞伎の演目、七段目を熱演するうち、階段から落ちてしまい、「てっぺんから落ちたのかい」呆れらた旦那に定吉は「いいえ、七段目からです」というのがサゲである。

 

宮治さんの落語は押して押して押しまくるパワフルな演じ方。この演目の芝居の真似もコッテリの爆笑王だ。そのコッテリが胸焼けすと好き嫌いもあるようだが私は宮治さんが大好きで追っかけである。ファンクラブに入ってしまったぐらい。

 

トリはそうばさん。

青菜

「植木屋さん、ご精が出ますな」から始まる夏の噺。上方だと「植木屋さん、もうしもぅてしまいましたかいな」となる。

 

夏のある日、ある隠居の家で仕事を終えた植木屋は、隠居から「精が出ますな」と労をねぎらわれ、「柳蔭[1]をご馳走しよう」と、座敷に誘われる。

隠居は、酒肴として鯉の洗いを植木屋にすすめる。植木屋はいい気分で舌鼓を打つが、ワサビの辛さに閉口する。「口直しを出そう。植木屋さん、青菜は好きか」「大好物です」隠居は手をたたいて、「奥や! 奥や!」と台所に向かって声をかける。隠居の妻は何も持たず座敷に現れ、「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官(くろうほうがん)」と不思議な返答をする。すると隠居は、「ああ、義経にしておこう」と言ってすませてしまう。

客人が来たと勘違いした植木屋が辞去しようとすると、隠居は押しとどめ、「青菜は食べてしまってもうない、と言うのはみっともないので、妻は『菜も食らう』ほうがん、と、源義経にかけた洒落言葉で言ったのだ。私は、それなら『良し』つね、と返事をしたというわけだ」

隠居夫婦の上品なやりとりに感心した植木屋は、自分も来客が来た際に活用しようと思い立って、長屋に飛んで帰り、自分の妻にこれを教える。折りしも友人が風呂に誘いにやって来るので、さっそく再現しようと、急いでありあわせのもので酒と酒肴の用意をするが、植木屋の長屋には座敷と台所を隔てるものがなく、手をたたいて妻を呼び出すところがうまく再現できない。困った植木屋は、妻を押し入れに放り込んでしまう。

植木屋は、やって来た友人に「植木屋さん。精が出ますな」と声をかける。「植木屋はおまえじゃないか。俺は大工(あるいは建具屋)だ」「冷えた柳蔭をご馳走しよう」「これは生ぬるいし、濁酒だろう」「この鯉の洗いを……」「これはおから(あるいはイワシの塩焼き)じゃないか」「植木屋さん」「植木屋はおまえだ」「青菜は好きか」「俺は青菜は嫌いだ」

困った植木屋が「そんなこと言わずに『食う』と言ってくれ」と泣き出すので、友人がしかたなく「食う」と言うと、植木屋は手をたたいて、「奥や! 奥や!」と叫ぶ。すると、ホコリやクモの巣を顔に引っ掛けた妻が、汗をかきながら押し入れから転げ出てきて、友人は腰を抜かす。妻は息を切らせながら「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官義経」と続けざまに言ってしまい、植木屋の言うことがなくなってしまう。困った植木屋は、

「……弁慶にしておけ」

(Wikipediaより)

こうして書くと、落語って面白いのか?って感じだけど、このあらすじから、人によっていかに崩すか(ストーリーごと変えてしまう人すらいる)、面白い文言を加えるのか、息遣い、間のとり方、全員が違う。

 

だから、落語は面白い。

私が応援しているのは、真打のひとつ手前。二つ目という修行中の身分の人達を応援している。真打なるまで応援していけば、自ずとその人の成長を見ていられる。だから私が好きなのは若手ばかりで、落語がそこそこ好きな人には「誰?」と言われる。逆に演芸歴が浅い私は重鎮の名も顔も知らなかったりする。

 

珍しく落語の噺でした。