転院と希死念慮

こんにちは。ぬっこです。

 

ブログを放置していた間に起きた大きな出来事、それは病院を転院し主治医が変わった事だ。往復3時間という距離の病院だが9年お世話になり、主治医が変わるなんて想像だにしなかったのだけれど。

私は関東圏に住んでいるが、主治医の先生は関西出身の方で関西の出身大学に戻ることにしたそうで。がっぷり四つに組んで、時に叱られ時に世間話をし。1日に70人以上診ているスーパーマンみたいな忙しい先生だったけれど、鬱に落ちてラムネみたいにボリボリ睡眠導入剤オーバードーズした時も多剤処方からの整理の辛さも、全て受け入れ対処してくれた方だった。

認知心理学的アプローチを教えてくれ打開策のヒントを授けてくださったのも先生だ。

 

そんな絶対的信頼をしている先生がいなくなるなんて!!

 

転院先は、先生の講演会で名刺交換をしたことがあるという家からそこそこ近いクリニックに。素敵な新しい出会いがあると信じて。

結果、失敗だった!残念ながら30秒診療!会話なんて聞いちゃいないし出来やしない。しかも酷いことに名刺交換したこと自体忘れていた! 意味なしー。

調子が悪いといえばどんどん薬を増やすタイプで、本当は鬱でもそれを何とかしたいと言えば多分薬が増えるのだろう。年単位で薬を整理した中でもう薬は二度と増やしたくない。

 

特有のこだわりが強すぎる考え方を相談すると併設のデイケアを案内された。要するに先生は薬の処方係、それ以外は併設のデイケアアウトソーシングという仕組みらしい。

 

すっかり失望した私は、最初の2ヶ月ぐらいは先生ロスで帰ってきて泣いていた。

(今では諦めとともに受け入れている。)

かつてこういう会話がなりたたない先生のクリニックに通院、引越し→転院を繰り返した私感では結局とりあえず薬出しとけな先生ばかりだ。(こういう先生は私は信用しない)

結局調子が良かろうが悪かろうがどうせ変わらないのでボチボチですと答えて30秒で診察を終えるのが通院のパターン。

きっとそんなんだから私のカルテには会話履歴なんてないはず。今の先生はぬっこという個ではなくのっぺらぼうの患者Aとしてしか見ていない。つくづく前の先生との関わりのありがたみを今でも感じている。

調子が悪くなるとオーバードーズ傾向になる私。それを話すことで踏みとどまって来たけれど、今、その時が訪れても大丈夫なように処方量を増やして備蓄している。それがものすごく愚かなことは分かっているが。

 

明後日から週に3日の新しい仕事が始まる。負荷がかかる分しんどくもあるだろう。オーバードーズの衝動は、今は大丈夫なはず。

 

仮に精神的に疲れ起きたくないからと3倍、4倍量飲んでも、少し長寝になるぐらいのものだし。(繰り返すがダメなことの自覚はある。ODダメ絶対)

 

以前2度ほど50錠だか70錠100錠近く飲んで寝続け救急車に乗せられたことがある。(ボリボリ噛み砕く最中気を失ったので正確な数字は覚えていない)人間関係も環境も最悪だった時にその当時近しかった人に「死ぬ勇気もなかったくせに、そんなことして迷惑と恥をかかせやがって」とメンタルズタズタの中で暴言浴びた事もあったっけ。

 

今の環境はとても恵まれている。

食うに困らず絶対的に私を愛し大事にしてくれる旦那はんがいる。それでもふと「このまま目が覚めなきゃいい」と気の迷いを覚える思いは消えない。

 

順風満帆でも明日の事に絶望してなくとも、厄介な事に希死念慮はそう簡単には消えないんだ。

 

某俳優さんが自殺したニュースが流れている。きっとどうしようもなく辛かったんだ。人に話したら消える?私はそうは思わない。

休んだら治る?休んだら自分が関わる仕事はどうなるかと気が気じゃないだろう。

どこかに逃げたい。顔が知れすぎている。それにどこへ?

ただただ生きていたらいいんだ。なんのため?辛いだけだ。

誹謗中傷を受けている。元々の希死念慮の背中を押したかもしれない。

 

みんな死んだら終わり生きろだと言うけれど、どうても終わりにしたいなら、それも1つの選択肢なのではと私は思ってしまう。多分、世間的には間違いだと言われるだろうけど。

 

主治医が変わって、希死念慮が根底にある自分に戻ってしまった。話はそれたけど先生大事。