ぬっこ流開拓論

荒野の開拓の如く、元自分の部屋を片付けに明け暮れる事で
やっと自分の部屋としての安住の地を手にしたのが2ヵ月ほど前の事。
あれから…実は開拓を着々と進めている。
もっともここで言う所の「開拓」とは一般的には「片付け・整理整頓」とか呼ばれるものだが。
 
もともと私自身片付けが得意だったかと言えば、決してそうではない。
今に至るまでには紆余曲折あって、気付けば身に付いていた事のひとつだ。
 
「物が多い、まずは捨てなさい」と説く片付け精神論はここ最近よく耳にするけれど
私は極力捨てない。(勿論明らかに不要な物は捨てるが)
よくお掃除タレントさんがやってきてダメ出ししまくり、
ずかずか乗り込んでいって物凄い勢いで、
あれこれ捨てて、「はい、キレイになりました」なんて言うけれど
そもそも物を減らせば、すっきり片付くなんて当たり前じゃないか。
 
開拓をしながら気が付いた。
ぬっこ家の場合、物が多いんじゃなくて「無秩序」なんだ、と。
何故軍手やゴム手袋に紛れて替え電球が1つだけ埋もれてるのか?と。
何故ビニール袋置き場があっちにもこっちにもあるのか?と。
でも何故かと考えても多分、そこに理由なんてない。
きっと人生の大半は、こういう何故かと考えても理由なんてない事ばっかりなんだろうな、なんて
ふと思ったりしながら、とにかく「そこにある物」を一旦全部ひっぱり出す。
 
イメージ 1並べ替えて同じ類のものは同じ場所に。
引き出し内の仕切りは、広告を折った箱を利用。
(だから「プライス」なんて文字が見える訳で・・・)
 
自分以外が見ても、使いやすいようにしまった
引き出しやかご、それぞれにインデックスを付けて、
細々入れた引き出しには収納物mapをぺたりと貼り付け。
秩序が生まれれば、物がある程度多くても
すっきり片付けられるものだ。
物が多いと思い込んでいたのに、あれ、隙間が生まれた。
あれやこれやと積み上がっていた棚の上がすっきり。
 
使う側には、そこに在る理由があるものだ。
それを無視してあちこち物を移動すれば、結果的に混乱を巻き起こし、秩序は生まれない。
だから場所も基本的には変えない。
 
今日は納戸。明日はリビングの棚。
そんな風にブロック分けしてこつこつ開拓。
 
この「ぬっこ流開拓論」にはもう一つ。
玄関をキレイにすること。だって家の顔だもの。
脚立にまたがり(!)、ほうきを振りまわし(!!)クモの巣取り。
降り積もる埃にあっという間に自分もクモの巣だらけに。
外灯の「カサ」は外してキレイに洗って。
床は水をまいて重曹を振りかけ、
たわしやデッキブラシでごっしごっし、わっしわっし、じゃっこじゃっこ。
ブラシでわしわしは、腰をいれて膝をうまくクッションにして…
(これは軽井沢時代にご一緒した方はよくご存じの、私の独特のスタイル)
窓ガラスやドアはメラミンスポンジで磨き上げ。
あら。こんなに光を通す窓だったのね。
床のたたきは茶色じゃなくってグレーだったのね。
 
眉唾的な話なのだが、玄関を徹底的にキレイにすると「いい知らせ」がある、と
私は本気で信じている。
玄関を磨き上げた後で「お金、入ってくるよ」とだけ母に意味深な発言をして
この子、とうとうおかしな事を言い出したよ、と不気味がられたのだが
不思議な事に、植木屋の父、実は今昔の仲間に応援を呼ばなければ仕事が回らないほど
大忙しである。
 
理由は分からない。
ただ、舞い込むんだな、これが不思議な事に。
ぬっこ流開拓論、あなたのお宅でもお試しあれ。