楽しむために必要なこと

正月休みが明けての仕事。
している事は変わらないのだけれど、怒涛を乗り越えた事は確実に分かる。
 
おかげで…なるほど。これはこういう意味だったのか。そんな事を思う事多数。
入ってすぐのお歳暮の怒涛、本当によく乗りきったよねと言われるけれど確かにそうだったとつくづく思う。
お尻に火が付いて仕事をする事が、年明けに入ってだいぶ減ったので、
仕事ペースの遅い私でも、何とかやっていける事も増えたような(そうでもないかな)
 
社長は私に仕事は楽しいか?とよく聞く。
答えはもちろん!楽しい。
 
ただ、きびしい職人の世界を垣間見る事もある。
大声で指示される事もある。
そんな時はただただ、何をまた私はやらかしてしまったのだろう、とびくびくしてしまうのだけれど。
でも…10分後には周りは笑い声が溢れている事もある。
あんなに緊迫した雰囲気だったのに、どうして?とちょっとおろおろ。
 
なんせ、ホテルマン時代、大声が飛ぶと言えばお客様にひどく叱られる時ぐらい。
そしてそういう時は随分と時間をかけてそれを収束させるために奔走する事になる。
10分後に同じ状況で和やかな雰囲気なんて考えられない。
その大声が飛ぶのと、今の職場で大声が飛ぶのはそもそも種類が違うのだ。
「叱責されている」のと、「指導されている」のとの違い、とでも言えるだろうか。
 
父は、植木屋だ。そう。職人である。
随分と、小さい頃は大声で叱られる事もあったし当時はそんな父が怖くてたまらなかった。
「大声=怒られている=恐い」の構図が私の頭の中では随分と小さい頃から
刷り込まれて強いような気がする。
 
この間、飲み友達である大工さんや植木屋さんに率直に質問してみた。
職人さんはどういう時に大声を出すのか?と。そんな時は何を思っているのか?と。
そして10分後に笑っていられるのはなぜか?と。
そういえば父にもそんな質問はした事がなかったっけ。
 
彼らの答えは…。
忙しい中で頭に血が昇る出来事(つまり何か間違えた行為)があったから
瞬発的に大きな声が出てしまっただけだ、と。
忙しい限られた時間の中で仕事をやりくりしているからこそ、自然と出てしまうだけのことだからなぁ、、、
うーん、と。
そして、大声を出す理由がなくなれば、その後和やかに笑っているのも当然のことだと。
 
そうなのかぁ。なるほど。
 
そして大事なことを言われた。
そのくるくる変わる状況におろおろする気持ちも分からなくはないけれど、
そこでの気持ちの「切り替え」が大事だよ、と。
行為に対して大声で叱っただけで、何も人格ごと全部否定した訳でもないし、
その後、同時に気持ちを切り替えようとしているはず。
その切り替えに出来る限り付いていく努力をしなさい、と。
でないと本当に楽しめないよ、と。
笑って仕事しなきゃ!と。
 
何となく年末の物凄く忙しい中で楽しめなくなりそうな自分もいたのは否定しない。
しんどいとか辛いとか思わなかったといったらウソになる。
それでも仕事は楽しいのだ。ここで働けている事は心底嬉しい。
彼らに教えられた事で心の中でひっかかっていた事がすっとした気がした。
 
人生の先輩の言葉は、やっぱり重い。