共に生き、共に笑おう

とあるスーパーでの出来事。
 
保育園にあがるかあがらないかぐらいの、まだ言葉もたどたどしい小さな子供が、
お菓子売り場に手を伸ばしたときに、さっと手を引っ込め、
カートを押して一緒にいたお母さんを見上げて一言。
「がまん、だよね。みんな大変なんだもんね。」とにっこり。
あぁ。こんな小さな子まで、思いやりの心。
 
真岡は節電の地域からは外れている。
被害がひどかったから被災地扱いなのか、
それとも最盛期を迎えているイチゴやトマト農家への配慮なのかは分からない。
(今のハウス栽培の温度管理は皆コンピュータ制御なので、重油や灯油ではなく電化されている事が多い)
停電にならなくて良かった、と思うよりも、
それで電車の本数を減らされてホームにあふれかえる人々を思うと
何となく心苦しい。
そんな私に出来る事は節電節電。
そんなこんなで薄暗い我が家。
暗い部屋でパソコンと向かう私。
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何となく家全体が落ち着かない。
父は壊れた塀の手入れの仕事が急に入り大わらわ。
仕事柄車が動かせないと仕事にならないせいか、
世のオイルショックに躍らされている感もある。
せめて、外から出入りするときに、ほっこりしてもらいたい、と
のびてきた菜の花を田んぼの端から少々拝借して
玄関の扉を開けた真ん前の棚にででーんと黄色い花。
何となくぱっと華やいだ感じの玄関。
花がある生活は、いい。
 
最近この被害の状況を繰り返す映像を見ながら、
とりとめもなく思ったことがある。
そもそも人は無力だ。
こんな地震が来れば人間の英知なんてひとたまりもない。
ほんの一瞬で街は薙ぎ払われる。
でも・・・無力だけど、その無力なひとりひとりがつながることで発揮されていく事もあるように思う。
このオイルショックの負の連鎖のように逆の力として働いてしまう事もあるけれど
募金箱に入っているのはお札ばかり。みんな助けになればという思いは強い。
今はまだ救出と混乱の段階で、復興や避難生活を助けるボランティアの動きは見えないけれど
これから水面下で備える人たちも多いはずだ。
確実に動き出している。
 
共に生き、そして共に笑おう。
(ACの広告みたいだな。それにしてもテレビの繰り返し流れるCMはそろそろうんざりだ。)