自粛なのか、萎縮なのか

「こんな時期だから」・・・最近この言葉をよく耳にする。
 
買い占めはやめよう、と繰り返し呼びかけられる事で、
「買いだめする事=悪い事」の構図が出来たのは良い事だと思うけれど、
買ってはいけない、出かけてはいけない、という訳ではない。
確かに旅行をする気分ではないかもしれないけれど、逆にこんな時こそ気分転換が必要。
 
例えば、お花見のぼんぼりを自粛する事は今のご時世当然といえば当然。
でも、お花見をしちゃいけない訳じゃない。
花を愛でてきれいだな、春が来たな、と思うのは電気を使う訳でもなければ、誰に迷惑をかける事でもない。
先日旅に出かけて思ったのは何となく、どこへ行っても閑散としていた事。
通りにまったく人がいない。
街でこの状態という事は観光地はもっともっと酷い状態なんだろうと思う。
やっぱり今までの仕事柄、お客様の入りを気にしてしまう私。
あのお宿は、あそこのホテルは、大丈夫かしら。いらぬ心配かもしれないが。
 
いろんな方面で困難な状況に陥っている。
全体の事を考えたら、過剰な自粛ムードは、いつしか社会全体がぎゅっと萎縮してしまう。
思いもよらない箇所で思いもよらない弊害もあるかもしれない。
我慢する部分はもちろん我慢して、でもそれ以外の部分は普通に生活してもいいんじゃないのかしら。
そんな事を閑散とした街を見ながら思った。
 
イメージ 1ここのところ一気に暖かくなったせいか、
気がついたら、あちこちにポコポコふきのとうが
顔を出し始めた。
旅に出る前にひとつ頭の先っちょを出して
寒さが続いてしばらくそのままだったのに
油断して観察を忘れてしたら、
花を付けてしまい、てんぷらで食べるのを断念。
仕方ないので細かく刻んで、ふきみそにして食べた。
本当は放射能被害を気にしなきゃいけない
土地なのかもしれないけれど
別に食べちゃいけない訳でもない。
多分、日々粛々と務めて当たり前の生活をする事が、大事なんだと思う。
余震がない訳じゃない。
どどどど、ごごごご、と揺れる前の予兆の地鳴りがするとぎゅぎゅっと身が縮む思いだ。
またか、またやってくるんじゃないか?と一瞬緊張が走る。
だけど、出来る限り「いつもの生活」を、そう思う。
だって、揺れていない時間の方が大半だもの。
暗いニュースが続いている中でも普通に生活しなきゃ。
それが再生につながる足掛かりだと思うから。