春の嵐に背筋が寒くなる

ひゅうひゅう、ごうごうと風が鳴る。

電線の間を吹きぬけて共鳴する音で、風が絶え間なく鳴き続け、
電線や電柱までもが力なく風にぐらぐら揺られている。
庭のチューリップもしっかり花弁を閉じて、風に耐える。
ザワザワと萌えたばかりの若葉が、風にちぎられて道路に無残に投げ出され、
空からではなく、横からバケツで水をかけられるような降きなぐる大粒の雨。
地震の地鳴りにも似た轟音とともに、家ごと揺すられる。
大地が怒る、春の嵐

こんな日は、無力な人間は家でじっとしているが吉だ。
というわけで、珍しく静かに本を読んで過ごした。
今読んでいる本のタイトルは、「原子炉時限爆弾」「原子力発電がよく分かる本」
未曾有の地震の災害が影をひそめてしまうような、
今地球ごと揺るがしかねないよく分からない恐ろしい出来事が起きている。

恐い恐い、と思っても、「何京ベクレル」なんて知らない単位の話をされても余計に恐い。
その恐さは、ただならぬ事が起きている事への恐さの他に、
分からない情報が日々報道され続けている事への恐さ。
メディアが情報を正しく迅速に開示する事はもちろん必要な事だけど、
そんな想像もつかない事で、よくわからない数値を振りかざされて
野菜や魚を食べちゃだめだ、この土地には住むななんて突然言われたって誰だって受け入れがたい。
風評被害が起きるだって、よく分からない事に対して人間は恐いと思う防衛反応が働くからだと思う。

とはいえ、知っても怖いのは変わらないのかもしれない。
それなら無意味に恐がるのではなく、知った上で正しく?恐がろうと。
燃料棒がなんて言われたって、私にはそれがどうやって電気になるのか分からないし
今まで知ろうともしていなかった。
原子力発電が日本を支えている事は子供のころから知っていたけれど
それこそ魔女が何かを混ぜて電気をつくってるんじゃないかというぐらいのレベルでしかない。
読んだところでやっぱり分からないのだが、それでも何か出来る努力はしなきゃ。

今私が唯一出来る事は、知ろうとする事だと思った。
…とはいえ、こんな嵐の日に読む本じゃなさそうだな。
余計に背筋が寒くなってきた。