ヤマアラシのジレンマ

金魚が1匹死んでしまって、悲しさのあまり何もする気が起きずに1日ぼんやり過ごした。
残った1匹には長生きしてもらいたいので、エアポンプ付きの大きな水槽を購入。
そんな1日。
金魚の話はさておき、自分の恋愛観のこととかその他諸々のことでここ最近
心の内に抱えるものがあっていろいろ思い悩んでいる。

夜になり雨が降り出した空を見ながら、こんなことを考えた。
ヤマアラシのジレンマという精神分析用語がある。
寄り添うと傷つける。離れれば寂しい。そんな対人関係を例えた話。

ある冬の日、2匹のヤマアラシは嵐にあいました。
お互いの体を寄せ合って暖をとろうとしたところ、それぞれのトゲで相手の体を刺してしまいます。
でも離れ過ぎてしまうと今度は寒さに耐えられなくなり、凍えそうです。
こうした近寄りと遠ざかりを何度か繰り返しているうちに、
お互いに傷つけずにすみ、しかもほどほどに暖めあうことのできる距離を発見しました。
哲学者ショーペンハウエル(Schopenhauer)『ヤマアラシのジレンマ』より

離れれば寂しい。近づけば傷つける。
人との距離をとるのが苦手な人が多いという。
私も得意ではない。むしろ絶望的に苦手だ。
心を開きすぎて、自分も傷つき、また相手も傷つける。
今度は傷つくのが恐くなって完全に心を閉ざす。その繰り返し。
多分まだ、私自身の中でほどほどの距離を見つけられていない。

もうずっとずっと前、思春期の頃、私は人間関係で大失敗をしている。
当時ではまだ珍しかったイジメに遭った。
それまで私はそこそこ成績もよくて生徒会の役員を買って出るような
クラスに1人はいそうなそんな優等生肌の子だった。
正義感を振りかざしたりすることもある、今考えたら結構勘違いな子供だったような気がする。
イジメに遭った理由は未だに分からないけど、ある日突然どういうわけか学年全員を敵に回し
一人ぼっちになった事のなかった私はどうしていいのか分からず引きこもり
頼みの綱だった学校の先生たちは身の保身のために私を切り捨てた。
一人ぼっちになり、人を信じられなくなり引きこもった私は
その後原因不明の大病を患って結局私はだいぶ長いこと入院生活を送って学校を転校した。
そんな学生時代の暗い暗い思い出。

今の私は明るい。多分人一倍声も大きいしいつも笑っている。
だから、そんな暗い過去を持っている事を皆は知らない。
だが、それからだろうか。
自分の言いたい事やワガママを制する親の役割を果たす自分がどこかに生まれたのは。
ハメを外したり、怒って声を荒げたり、悲しくて取り乱したり。
そういう時に決まって自分の中でそれを律する自分がいる。
だから、どんなに腹が立っても悲しくても、マイナスの行動を表に出すことは殆どない。
飲み込んでしまう。誰かにそれで迷惑をかけるのが恐いから。
私は未だ相手と暖めあえる距離を見つけられてない。寒くても、相手を傷つけるよりはマシ。
だけどそれではいけない事も分かっている。

そんな事を考えていたらシザーハンズが見たくなった。
両手がハサミで出来た人造人間のエドワードが恋をした女性を抱きしめようとするのだけれど
両手がハサミであるゆえその女性を傷つけてしまう。
エドワードは自分のその手が嫌がおうにも人を傷つけてしまう事を知って、そっと町を去っていき…
そんな話。大好きな映画の1つ。

ヤマアラシがトゲで相手を傷つけず、そしてそこそこ暖めあえる距離は45cmなのだそうだ。
私にとっての45cmはいつになったら見つけられるだろうか。