カカオ農場の子どもたちよごめんなさい。

テレビで貧困にあえぎながらも力強く生きる子どもたちの話をやっていた。
アフリカのカカオ農場で働く兄弟は、日々木に登って苦労して採っているカカオが
チョコレートになることもそもそもチョコレートが何かも知らない。
学校へは仕事のためにいけず、ずっと前に手に入れたボールペンは
インクが出なくなりそうなプラスチックの部分が折れたボロボロのものを大事に使っている。
ウクライナエイズに冒された子どもは物乞いをしながら警察の摘発を恐れて隠れて暮らしている。

彼らにチョコレートを与えて味を教えてあげる事も
新しい1本のボールペンをあげることも簡単だろうと思う。
ウクライナの子どもには1晩温かい寝床を確保してあげることも出来るだろうと思う。
だけど、それじゃ解決にはならない。
だからテレビでは彼らの実情を伝えるだけで、そうしない。
それは一生懸命生きている彼らへの冒涜だから、だろうか。

そんなテレビを見たせいか、
チョコレートは甘いので大嫌いなのだが、コンビニに寄ったついでにチョコレートを買った。
甘いのが嫌いな私でも今流行りのビターチョコレートなら食べられるだろう。
どうせビターなら、最初から甘くない方がいい。
カカオ99%というのを購入。
このカカオにはあの子どもたちが木に登って採ったものは含まれているだろうか。
そんな事を思いながら一口…苦い。
非常に苦いと確かに注意書きはあったが、苦いだけではないむしろ今まで食べた事のないまずさだ。
口当たりは小さい頃過って口にした(小さい頃はなんでも食べてしまう困った子どもだったのだ)
図工の授業でいじったあの、『油ねんど』のようなねっとりした感じ。
久々に思い出した。
そして溶けたその後に来るどうしようもない苦さ。
これは食べ物じゃない、食べちゃいけないと体がシグナルを発する味がする。
だって20数年前に口にした油ねんどを思い出したぐらいだもの。

だが、学校に行きたいのに行けずに日々農場主に奴隷のような扱いされながら
苦労してカカオを採っていた子どもたちの映像を見た後で
まずいから捨ててしまおう、とは思えない。
なんとかして食べなきゃ。…でもまずい。どうしよう…。
良心の呵責にさい悩まされながら寝てみる。