いいホテルマンになるための鍛錬(嘘)
昨日山に行ってきた。
確かここは5年前の秋に行った事がある。
合併されて日光市になったが旧足尾町にある庚申山。
かつての修験者が修行したといわれるかつての山岳信仰の山だ。
車が停められる場所から7キロも離れた標高1900メートルの場所に
こんな立派な無人の山荘がある。
1泊2000円。人は常住していないので自炊である。
外にトイレもあるし、掃除も行き届いてキレイに保たれていて気持ちのいい山荘だ。
ちなみに、夜は山荘の周りはシカだらけ。
夜中にトイレに起きたりして外に出ると、
オマエシカジャナイナ?ダレダ?という視線をあちこちから向けられて恐い。
5年前、私は1泊でこの山に登り、更に丸2日間歩き通して翌日疲労で高熱を出して倒れた。
その無謀な行程は庚申山からその奥の岩壁の稜線を超えて更にその奥の別の山を登り、
2日で登った頂の数、大小併せて13、歩いた距離30キロ以上!
今考えても寒気がする経験。よくぞご無事で。
でも暗闇でのシカとの遭遇や風や水の音、落ち葉の匂い、頂からの開放的な眺め・・・
覚えているのはいい思い出ばかり。
人の記憶の忘却システムというのは結構都合よく出来ている。
いい思い出と悪い思い出とフィルターにかけて悪い部分は消去されてしまうものだ。
お陰で辛い登りをすっかり忘れていたのを目の当たりにしたのだけれど。
その無謀な行程は庚申山からその奥の岩壁の稜線を超えて更にその奥の別の山を登り、
2日で登った頂の数、大小併せて13、歩いた距離30キロ以上!
今考えても寒気がする経験。よくぞご無事で。
でも暗闇でのシカとの遭遇や風や水の音、落ち葉の匂い、頂からの開放的な眺め・・・
覚えているのはいい思い出ばかり。
人の記憶の忘却システムというのは結構都合よく出来ている。
いい思い出と悪い思い出とフィルターにかけて悪い部分は消去されてしまうものだ。
お陰で辛い登りをすっかり忘れていたのを目の当たりにしたのだけれど。
それから少しだけ大人になった私はその半分の行程を1日で歩いてきた。
・・・ってあまり変わってないじゃないか。
今回は幸い熱は出さなかったけれど体中痛くてたまらない。
あまりのだるさに何もする気力が起きなくて今日1日の半分を寝て過ごしたぐらいだ。
・・・ってあまり変わってないじゃないか。
今回は幸い熱は出さなかったけれど体中痛くてたまらない。
あまりのだるさに何もする気力が起きなくて今日1日の半分を寝て過ごしたぐらいだ。
もう紅葉も終わり近いとは分かっていたけれど、
途中までは真っ赤に色づいた見事な紅葉も楽しめたし、
大好きな滝や渓流が沢山見られて大満足。
体中の筋肉痛はそのささやかな代償。
途中までは真っ赤に色づいた見事な紅葉も楽しめたし、
大好きな滝や渓流が沢山見られて大満足。
体中の筋肉痛はそのささやかな代償。
って、当たり前だが私がする仕事にこんな鍛錬が必要な訳がない。
ただひとりで考え事をしたいときに、何となく山の中にいたいだけだ。
ただひとりで考え事をしたいときに、何となく山の中にいたいだけだ。
歩いた距離13キロ
そしてそれに要した時間6時間半(休憩、寄り道、昼寝含)
そしてそれに要した時間6時間半(休憩、寄り道、昼寝含)