忘却はよりよき前進を生む

雪が降る前の日のこと。
メールしていた友人のラーメンの話を聞いて、
なんだか無性にラーメンが食べたくなって、夜ひとりでラーメン屋へ。

といっても街まで降りるのに車で片道30分。
ただの物好きである。

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閉店間際のラーメン屋さんにて。
私が最後のお客で、店に入ってからほどなくして
商い中の看板が内側に仕舞われていた。
何となく店内にはもう終わり、というムード。
こういう雰囲気って
言葉ではうまく表現出来ないけれど
言葉にしなくとも空気で伝わるような気がする。
また、逆に働く店員さんの胸の内としては、
この人が帰れば仕事が終わる!という
何となく忙しい時の張り詰めた緊張感がほぐれて
気もそぞろだったりするのもよく分かる。


接客としてはそれが表に出てしまってはダメダメなんだけど、
何だかその気もそぞろの空気が妙に懐かしくなり、
厨房をブラシでゴシゴシこする音や
漏れ聞く店員さんの無駄話をBGMにしながら
ゆったり半熟の味付たまごが入ったラーメンを
楽しませてもらった。

そういえば、厨房の床、おっきなデッキブラシで
意地になってワシワシ掃除したなぁ。
利き酒で(と称して、ともいう?)、日本酒やらワインやら飲んだ事もあった。
(少しだけです。多分・・・)
意外に洗いあがった食器の片付けって好きだったっけ。
ナフキンをせっせと折ったり、オシボリを巻いたり。
結構地道な作業も好きだったな。
そんな事をふと思い出しながらラーメンをすする私。
今となってはみんな楽しい思い出だ。

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帰り道、通り沿いにある見事なイルミネーション。
ゆっくり食べ過ぎて妙におなかがふくれてしまったので
腹ごなしに近くに車を止めて歩いて眺める私。

先日見たジムキャリーが珍しくシリアスな役に徹していた映画の、
エターナルサンシャインの中で、
心に残る台詞があった。
『忘却はよりよき前進を生む』 (ニーチェ
『忘却は許すこと』(アレキサンダー・ポープ)
それは失恋したカップルの話だったので、
今の私とはちょっと違うけれど…。
忘却というのは、よく出来たシステムだと思う。
そして、記憶を振り返る作業を繰り返す事で、
それらの記憶の中のとんがった部分はやがて時間とともに丸みを帯びていく。
全て忘れてしまうんじゃない、いろんな事を赦し、開放することで
適度に忘却し、そして前進していく。
満腹の寒空の下、そんな事を考えてたとある日の私。