現実感がない春のとある日

明日は長野に行く日なので、抱えている仕事を一段落させてしまいたい。
そう思って家のデッキチェアで途中にしていた仕事を集中して一気に片付け。
それにしてもものすごい鳥のさえずり。
音楽を聞いているよりもこっちのが心地いいや。

とりあえず一段落して午後はぶらり散歩。

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この行き止まりの道が通れたら
お気に入りのカフェに行く
近道になるのに・・・と
思って探検してみたら、
小路を発見。
人一人がやっと通れる分の
細い細い通路。

学校帰りに通学路から外れて
よくこんな風に雑木林を抜けたり、
水門を渡ったりして
近道探しをしていたっけ。


・・・つまり私、20年経っても同じ事をしている、ということか。

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この辺り、買い手がつかないまま
廃屋になってしまった建物をチラホラ見かける。
そんな建物の錆びたらせん階段の先が、
どうにもこうにも気になってたまらず・・・。
実はこっそり突入、探検してみたのだけど、それは内緒。
危険なので真似してはいけない。
そこは多分20年ぐらい前から時が止まった空間。







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廃屋を抜けたら意外と近道だったらしく、ススキ野原に出た。
ススキといっても、3月に全部野焼きしてしまったので、
真っ黒こげの焼け野原。
でも近づいてみるとここにも春。
これがこれからグングン伸びて背丈を越える高さになる。
あと2ヶ月もしたら青々と風になびく
ススキの草原になるのかな。
足元にはススキの新芽のほかにもアズマイチゲ
その他見知らぬ山野草がいっぱい。

ウドの香りがする新芽が沢山生えているのだが、植物採取禁止、と立て看板。
ダメですか。
そうですか。
・・・いや食べるに困ってる訳じゃないんだけど。。

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最近しみじみ感じるのだが、
実はこれが長い長い夢で、
目が覚めたら今の生活自体、
何にもないんじゃないかって。
満開のサクラの花の下、
閉店間際の茶屋で買った
ヨモギだんご入りみつまめを食べながら思った。

こんな風に山の中の春を日々肌で感じながら
自分の好きな仕事が少しずつ進んでいく。
日にちが進むにつれてちょっとずつ忙しい日や、遠くにあった山積した仕事が
少しずつ、でも着実に近づいているのは感じているけれど
あまりにいろいろな事がゆったり、かつ全てがHappyであり過ぎて
逆に現実感がなさ過ぎるような気がする。
多分本当に幸せかどうかなんて感覚の問題だから、
今の私が目の前の出来事や置かれた立場に対してプラス思考だからなんだと思う。

スプリングエフェメラル

春の間にしか姿を見せない植物たちのことを言うそうで、
直訳すると春の儚いもの、春の短い命。
カタクリの花や何枚目かにあった白い花、アズマイチゲもそうだ。
花を咲かせた後、6月頃には葉も枯れてしまい、
あとは地中で次の春までひっそり根だけで生き続ける植物。

どうか私のHappyが、儚い春じゃありませんように。