人と接するということ

最近あれこれ事務所で馬鹿話をしながらも
ポツリポツリと仕事について話すことがある。
そんな中でお客様に何かを提供する、話す、ご案内する・・・
そんな全ての動作においていえること。

当たり前の事だが、あくまで接客というのは『仕事』だが、
人と話しているんだ、ということ。

例えば、事務所で同僚と一緒にいて食事しようとする。
そこで何か飲むだろうから、マグカップにみんなの分、何か飲み物を用意する。
水飲みたいな、と誰かに頼まれたら、はい、お水!と持って行くだろう。
だけどそれが仕事として、お客様にお水を下さい、と頼まれたとする。
水の入ったピッチャーをテーブルまで持っていき、グラスに水を注ぐ、
または水を入れたグラスをテーブルまでお持ちする、という動作が『仕事』。
かしこまりました、と柔和な笑みを浮かべて、スマートにお水を注ぐ、
または、おまたせしました、とテーブルにそっとグラスを置けばその仕事は完了だ。

だが、そこで「水を運んでいる」というだけの動作になっていやしないか?と。

うまく言えないけど、仕事という名のもとでやる動作はあまたとあるけれど、
レストランで、ご注文の品をお持ちしました、とテーブルまで運んだときに
お腹減ったでしょう?さぁ召し上がれ!という気持ちで出している人がどれだけいるだろうか。
そんな事いちいち言われていたら、気味が悪いしはっきり言って嫌だが、
要するに気持ちの問題、という意味でである。

オペレーションというのは、役割が決まっていて、
限られた時間の中で必要な案内をし、必要な動作をしなければいけない。
だけど、その中でどれだけお客様を『個』として見られるか、ということ。
個として接するうちに、趣向やニーズに気付いて、次に繋げられる何かを見つけられるかもしれない。
あれこれ説明する会話だって、必要なご案内を決まり文句を言うだけじゃなくて
その場に合わせてアレンジ出来るんじゃないかと思う。
だって案内をする仕事として接してるんじゃなくて、そのお客様と話しているのだから。

大昔、まだ新入社員だった頃、お客様がレストランの事を会話の中で食堂と言ったら、
受け答えの時には『食堂』という言い方で通しなさい、という話をされた事がある。
その会話の中に出てきているのは食堂なのだから、確かにお客様にとってそこは食堂だ。
案内を棒読みしてるんじゃない。会話なのだから。

勿論ケースバイケースだと思うので、長蛇の列が出来ているレジでお会計しようとしたら、
それは接客というよりは効率よく『会計を済ませる』という"仕事"に
重点を置かなければいけないこともある。
それは私がお客様を『さばく』という言い方をする、苦手な動作。

私はお客様をさばくのではなく、おもてなしがしたいんだ。
それは接客という仕事をしている中で、課題でもあり、また理想でもある。

・・・そんな事をいちいち考えて仕事している人って世の中そう多くもいないだろうなぁとも思いつつ、
そういう話を身近に話せる人がいる事がありがたいことだとつくづく思う。