ものすごいエンジンを搭載した、ブレーキなしのトラクターな私

私は見た目丈夫そうに見えて以外と病気をして育ったようにも思う。
今でもそうだ。
スポーツカーのエンジンを積んだブレーキのない軽自動車。
友人は私をそう例える。
思ったら即行動。それゆえ当然失敗も多い。
突っ走り、止まれないとも思っていない(止まる概念すらないのかも?)ゆえ
失敗したときのダメージが多い。
失敗をするたび、そして病気をするたび、両親に心配をかけてきた。
だから私自身の両親に対しての申し訳ない、いつか恩返ししなきゃという思いは人一倍強かった。

結婚については、ものすごい速さで決めた。
両親には大大大大反対されたけれど、それでも彼が養子に入ると言ってくれた事で嬉しかった私。
私が両親を大切に思っていた事を分かった上で言ってくれた、そう思っていた。
だけどそもそも。結婚とは、両親のためにするんじゃない。
私自身が決めるのは当然だけど、決める理由を間違えているじゃないのよ。
ブレーキが付いていない乗り物の私、残念、周りの声を聞く耳を失っていた。
車で言えば、この先落とし穴があります、通行止、と書いてある標識をすっかり見落とした、ということ。
あの時、私がもう少しいろいろな声に耳を傾けていたら、結果は変わっていたかもしれない。
…後悔先に立たず。

突っ走った私はぶつかって当然ものすごく痛い思いをした。
だけど。
だけど。これだけは言える。

痛い思いをしてものすごく傷ついた以上に、たくさんの事を学んだということ。
本当に多くかけがえのない大切な人たちを再認識させられたこと。

手提げバッグ身一つで、耐えられなくなって壊れ、飛び出した私に対して、
暖かく迎えてくれた雨風をしのげる友人の家、そして温かい言葉は何よりもの薬だった。
区の相談員の方や役場の人など、人目もはばからず泣きながら見知らぬ人にすがりついて、
どうしていいか分からない離婚云々についてひとつひとつ教えてもらったこと。
そして、泣きじゃくりながら話す私の言葉をひとつひとつ聞いてもらったこと。
それに、親しくなった方たちからの私に向けた厳しい言葉も、
皆私を思った上で言ってくれていたこと。
他人と親は違う。
また他者と自己と言った意味でも彼らは私ではない。
だけど、その貴重なひとつひとつの言葉のお陰で
私は親と泣いて話が出来るようになった。
ありがとう、ごめんなさい、は言える人でありたい。私はそう思っていた。
だけど、本当に大切に思っていた、両親に対して
私はそれらをきちんと伝えてこられなかったように思う。
親と私は、もう何年も本音で話せなくなっていた。
ある意味で上面のいい子でいようとしたのかもしれない。

タバコを吸っていたのを12年以上カミングアウト出来なかったのもその一つ。
今回を機にきちんと話した。
それに過呼吸発作を起こす直前にタバコを吸う事で、発作を抑えられる事もあること、
数年前に完全に禁煙した父、タバコ嫌いの母だが、。多分当分やめられそうにないこと。
それらも全部話した。

再始動までの間、仕事に戻るまであと半月。
テルマンぬっこのブログとしてではないけれど、
この空白の数カ月を綴るつもり。

ちなみに…。別れた彼のことは微塵も憎んでいない。
憎しみ合って別れたわけじゃない。
ただ、多分これ以上一緒にいたら、私も彼も破たんしてしまうと思ったから。
他から見ればあぁ残念、でも仕方ないね、の一言の世界、である。

傷ついてないといったら嘘になる。
だけど、傷ついても傷ついても、それでも立ち上がるのも私。
だから大丈夫。頑張る、とはちょっと違う。珍しく弱気。
でも、一歩一歩、今やれることを着実にひとつずつ、である。
明日からスーツケースを引いての大移動!!
しかも珍しく電車で。さて明日はどたばた珍道中間違いなしである。