大先輩の顔を浮かべながら

同じ病気の大先輩が身近にいた。
彼らに了解をとっていないので詳細は伏せるけど
ご主人とふたりで何十年も荒波を乗り越え、そして今、穏やかな波を見つけた方。

この騒動で困り果てて頼った先の一人でもある。

住まいと近い場所の方に頼るのはちょっと気が引けたけれど
彼らなら信頼出来る、そう心から信じたから。

顔見知りではあったけど、個人的な付き合いをした事などなかった。
それでも、家を私に提供してくれて、根気よく話を聞いてくれ
一緒に泣いてくれ、そして沢山のアドバイスをくれた。
私にとっての命の恩人のひとりである。

彼らに言われた事。
私には自分の感覚を身を持って体感する気持ちに欠けている、と。

疲れていれば休もうと思う。
不安だと思えば口数も少なくなる。

それは身体のしごく当たり前の反応。
私はそれを無視するうちに解らなくなる。
疲れたと思っても、まだまだいけるはずと思う。
不安だからこそ明るく振る舞いやたら口数が増えたりする。

昨日、休む決断をした時に思ったのはそんな彼らの言葉だった。

仕事に戻るのは早過ぎる、と彼らは言う。
私の新しい職場に知り合いもいるが、
今の状態では紹介出来ない、と。

友人が私に、ブレーキが付いてないというのも、同じ事だ。

人の期待に応えたいと思う。

だから…

私は自分の声を無視してしまう。
人のためにと思うがあまり、自分に対しての優先順位を1番下にしてしまう。

大事にしなければいけないのは自分自身なのに。
自分が壊れたら、自分が何より大切にしている人たちを悲しませるのに。

今日本当は、人がいない渋谷の散策をしようと思った。

でも、昨日からあれこれ考えていた私、
出来るだけ静かに過ごした方がいいようにも思った。

数日に一度、必ず連絡をくれるその方から、今朝、
どうしてる?元気?と電話をもらい、ふと顔が浮かんだから。

一旦整理しよう、自分の声を聞こう、
そう思ってファミレスで時間をつぶす事にした。

果たして今、私は体感出来ているだろうか。