『ごちそうさま』な夜

実家に帰ろうと思っているのだが…。
とりあえず帰る為の体力回復が先、ということで数日寝て起きて、食べて、また寝て。
(どれだけ消耗してるんだか)
再始動への第一段階。
 
こんな状態を心配してくれた近所に住むパートさんが、
帰りの買い物がてらうちに立ち寄って食べ物の差し入れ。
食べるという事を今まで本当に大事にしてきた私。
たとえば作る事にしても、それを食べるにしてもちゃんと愉しんで食べる。
そんな風に思ってきたのに、ここ数カ月食糧補給でしかなくなってた。
仕事しながら食べられるオニギリやカロリーメイト
流し込むようにさっさと食べて出来るだけ休憩に寝ていられるように
会社で頼むお弁当はいつもカレーライス。
 
彼女が差し入れてくれたのは唐揚げや、鍋焼きうどん。
買ったスーパーのお惣菜だけど、それらには心配してくれる彼女の気持ちがこもってた。
唐揚げや鍋焼きうどんは既成品。
だけど、味じゃなくて、そんな風に心配してくれた気持ちが嬉しかった。
そしてその彼女の気持ちを噛みしめて食べたそれらは、何より美味しかった。
 
誰かが作った食事が美味しいのは、その味のせいだけじゃない。
それを作るためにこめた気持ちだったり、一緒に食べるその場の雰囲気だったり
そういうのが多分食事を美味しく感じさせてくれるんだと思う。
それが、食糧補給じゃなくって、「食事」だ。
 
あぁ。久しぶりに食事した気がする。
そして、手を合わせて、「ごちそうさま」
 
馳走(ちそう)の本来の意味は走り回ること。
客の食事を用意するために馬を走らせ食材を集め、そして食材を調理し用意する。
そこからもてなしの意味が含まれるようになったそうだ。
相手のそれらの行動に対して敬意を表して頭と最後に「御」「様」をつけて、「御馳走様(ごちそうさま)」
 
仕事上がり後にスーパーに駆け込み、家で待つお子さんの為に夕食の支度を毎日する彼女。
その忙しい時間の合間に私の為の食事まで考えてくれた事に心から感謝。
まさに彼女に対して、「ごちそうさま」、な夜。
「いただきます」と「ごちそうさま」が言えるような食べる時間こそ、食事だと思う。
そしてそれは日々の生活の中でも忘れちゃいけない事。