ぬっこ 散歩を修得する

暖かいこの土地に戻ってきて数日。
 
今までの私からは考えられない話だが、
実家からの移動疲れのせいか数日ダウンしていた。
環境が変わるということは、それがたとえ居心地のいい場所だろうがなかろうが、やはりストレスとなる。
とにもかくにも今の自分のバッテリー不足を感じずにはいられない。
 
八百万の神々が、出雲大社に集結?する事から
「神無月(かんなづき)」、といわれる10月だが
出雲大社に出張していた神様たちも会合を終えてそろそろ各地へ帰り支度を始める頃だが
私はといえば…期末を決めていない休みのまっ最中。
霜の便りが届く時期になっても(と言ってもこの土地は霜がおりない!)戻れそうにない。
だが、いつ戻ろうか、それとも戻らずに別の道を探すのか。
まだその段階にない事を、時とともに実感を持って受け入れつつある。
今までと同じ轍を踏むまいとして、結果として同じ事を繰り返してしまった私。
でも、この1年ブレーキをかける事を意識し続けたせいか
少々以前の失敗とは違うような気もする。
いや、そうでなければ報われない。
 
「朝寝して、宵寝するまで昼寝して、時々起きて居眠りをする」
そんな古い川柳を地でいくような生活をしていて
ふと小学生の時に、夏休み間近になる頃になると
1日のタイムスケジュールを作らされていた事を思い出した。
子供ながらに渋々毎年作っていたような気がするが、
朝6時に起きてラジオ体操に出かけ、朝食後の「まだ涼しいうち」に宿題をして、
午後はプールに出かけるという、当時の模範解答と言われそうなスケジュールを作成し
大抵は実践される事がほとんどない、という全く意味をなさないものだった。
多分作る指示を出す教師側だって、それが大して守られる事がなく
大抵の児童が、夏休み終了間際に宿題を慌ててやる羽目になる事も分かっていて
あえてやらせてたんだとも思う。
 
だがそういう「生活をしようとイメージする事」って意外と大事なのかもしれない。
 
ふとそう思って、まさかタイムテーブルなんぞ作りはしないが
ざっくりイメージして生活してみることにした。
別に何をしたっていいし、とりたててすることもない。
だけど…。何故だか…なぜか日中1時間の「散歩」をし、
きちんと三食食べ…おっ、意外とヒトらしい生活。
とりあえずそのヒトらしい生活の2日目が無事に終了しようとしている。
三日坊主になったらそれはそれでいい事にしよう。
 
 
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多分あれこれ、試してみる事が多分大事。
そうしているうちにバッテリーがゆっくりと充填され、
たまに何かで消耗してまた充填されていく。
 
ある意味で、こうしてニュートラルにする事って
なかなか出来る事じゃない。
だからこそ、この時間はこの時間で大事にしなくちゃ。
 
 
 
 
  散歩の途中で出逢ったニャンコ先生…このすべてを達観した感じがステキ。