第一段階

先月睡眠のリズムがめちゃくちゃになってしまった事から
まずは朝起きて夜寝る生活をする、という
しごく当たり前の事が出来るようになる事が私の第一段階。
休んで1カ月が経ち、ようやく生活のリズムを取り戻しつつある。
動き出す元気が出てきたらまずは少しずつ散歩。
そこから先の第二段階はそれがきちんとできるようになってから。
そんな療養生活の日々である。
 
本当はこんなとき、一般的に独りでいるべきではないと言われている。
自分で自分の事を客観視することは難しいし
それに調子が悪くなった時、誰かいてくれた方が心強いのは当然のこと。

だけど実家の両親は、「元気でない私」に対してひどく戸惑っていた。
そしてその戸惑う様子を見て、苛立ちを覚える私。
壊れていても私は私なのに…。
そんなある意味「腫れもの」を扱うような状態の悪循環に陥りそうになったところで
通院の関係でみかんの国に舞い戻ってきた。
両親は壊れたわが子に手を差し伸べようとしてくれているが
どう接していいのか分からずにひどく戸惑っていた。
何だかよそよそしい、というよりも物凄く気を遣っている。
 
両親との関係が悪い訳じゃない。
ただ、私は家を離れて一人暮らしするようになりもう10年以上。
たまにふらりとやってくる存在だった私が、朝から晩まで家にずっといる。
しかも、二人が知っている「元気な私」はそこにいない。
それは両親にとっても変化だし私にとっても変化。
普段の両親の生活に突然私が割り込んだ形だ。
残念ながら先月の私の「あまりにひどい状態」の中で
私自身環境の変化を受け入れていけるだけの許容量がなかった。
ここはあんたの家なんだからいつでも帰ってきたらいいと母は言った。
確かにそうだ。生まれ育った私の家。
だけど私が今、生活しているのはここではない。
先月2週間程帰った時、ふとそんなさびしい事を考えた。
 
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実は、近々みかんの国を離れようと思っている。
ここを離れて、餃子の国にある実家に戻ろうと思う。
きちんと自分を見据えて今を受け入れた上でないと
前に進めないとようやく気付いたから。
仕事は好きだ。
だけど、今の私は自分自身の抱える問題と
仕事とを両立するのは難しい。
二度と同じ事を繰り返したくないし、
何よりどこへ行っても道連れは自分自身。
 
 
この先、生きていく上で一生付き合う自分が抱える問題をきちんと直視しようと思う。
本当はもっと早くに気づければよかったのかもしれない。
だけど、気づいて始めるのに、遅いなんて事はない。
もがいて、もがき続けて、出そうとしている私の決断。