閑話休題 「ぬっこ時間」について考える

以前なにかの折りに時間の過ぎゆく感覚は、
動物によって違うという話を描いたかもしれないけれどそれは同じ動物に分類されるヒトによっても大きく違う。
時間は同じように過ぎていくけれど、それを捉える感覚は人それぞれだと思うのだ。
そして、その時間の捉え方同様に物事をとらえ決断するスピードも人それぞれだと思う。
じっくりメリット、デメリットを考える人。
災難に遭ってもそれはそれ、物事が流れる過程のひとつととらえて
私のようにデメリットを考えずにとにかく即断即決する人。
むしろ私のように即決して前進するタイプはそう多くないように思う。
(だって、私は「悪く言えば」人として危機管理能力が低い、ともいえるのだから。)
 
ところで、またベーコンを作っている。
実は旅に出る前から仕込んでいて、旅から帰ってきたら燻蒸してやろうと。
そして今、実はまさに燻蒸している最中だ。

今日は雲ひとつない快晴。
風もなくぽかぽか日和なので、外で日向ぼっこしながら
本を読み、ノートパソコンを持ち出してぽちぽちいじりつつ時間を過ごす。
ベーコンを燻蒸する時間は決まっている。
大体5時間~6時間。
その時間を長いと捉えるか短いと捉えるか。
そもそもこの燻蒸するまでに下準備でおそらく1週間以上を要している。
即断即決の私が、なぜあえてこれだけ時間がかかる事をするかといえば。
私は「自分は自分だ」という強い個性があるようでいて
その一方でカエルが環境に合わせて身体の色を変化させるように
その場に適応しようとしようとする意識もまた同じぐらいに強い。
適応というよりも環境に自分自身が「浸食」されてしまう感覚に近いんじゃないだろうか。
接客の仕事が私に合ったのは、その相手のペースを読み取ってそれに合わせていこうとする力が
人よりも少しだけ長けていたから。
 
だが人が持つ能力というのは一長一短だ。
おそらく早い速度で時間が動いていく環境に身を置けば
私自身即断即決のペースをもっと速いサイクルでする事を自分に課すだろう。
そもそも私自身の「ぬっこ時間」は人よりも速い。
だからこそ、あまりに忙しい環境に身を置くと
自分という境界線を踏み越えて周りの忙しい環境に溶け込み過ぎて
頑張りすぎている感覚すら失って、立ち上がる気力を無くすまでやり続けてしまう。
だからこそ、うんとスローペースな場に身を置く、それで丁度いいんじゃないだろうか。
最近はそんな事を考える。
 
今回は少しだけ人におすそ分けしようと思っている。
そもそも、私の何かを作りたいという最近の突き動かされるその「原動力」は
「喜ぶ顔がみたい!」という事だから。
今、目の前で豚バラ肉のかたまりからベーコンへと生まれ変わろうとしている
さくらチップの燻す煙の濃厚な香りとと豚の脂と香辛料とが混ざったいい香りが
あたり一面にたちこめている。
ベーコンに生まれ変わった瞬間、これらが少し身を小さくした肉の中に全部凝縮されて
口に入れた瞬間に、そのいろんな香りが口の中から鼻へと力強く広がる。
大量生産では味わえない、時間とともにしっかりと向き合ったこの味を、
是非大切な人達に味わってもらいたいのだ。