全は個にして、個は全なり、ユキヤナギに思うこと

ぶらぶらとドライブしていたら、見事なユキヤナギを見つけた。
思わず車を路肩に止めて、近くに見に行ってみる。
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わぁ。枝に雪が降りつもったように、こぼれおちんばかりの花。
ちょうど満開なんだろう。
びゅうびゅう吹く風にも負けずにきれいに咲き揃っていた。
なんともいえない「春の香り」がする。
ユキヤナギも香るものだった事を初めて知った。
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この花を見ながらふと思った事がある。
春の花はこのユキヤナギみたいに小
さな花の集合体になって魅せられるものが多い。
桜や梅だってそうだし、菜の花も黄色い小さな花の集合体が
気がつけば路肩一面黄色く彩られていたりして。
花のひとつひとつは地味で小ぶりなものだけれど、
それでも沢山集まれば「お見事」の一言。
 
 
 
 
「全は個にして、個は全なり」そんな言い回しがある。
つまり、ユキヤナギにその話を置き換えれば、個々の小さな花が集まった集合体もユキヤナギだし、
また小さな花ひとつもユキヤナギだ。
それぞれが同じ時期に花を咲かせる事ではじめて真っ白な見事なしだれ模様を見せてくれるわけで。
 
人だってそう。
個々の人々が集まってこの国を作っているけれど、
それぞれがそれぞれで食事し排泄し、睡眠して、
笑い喜び、時には怒ったり泣いたりしながら生活をしている。
被災地の方だろうとそうでなかろうと、
基本的には「個」であるし、同じ国に同じ星に所属している人間であるに変わりはない。
それぞれがそれぞれのフィールドで出来うる限りのベストを尽くしているだけのことだ。
 
被災地の方々は復興に向けて。
そうでない方々は日々の生活を粛々と。
記録的な寒さや大雪を記録した冬も、ちゃんと春に切り替わっていく。
そう、何事も粛々と過ぎていくんだ。
個々が萎縮してしまっては全部がたちゆかなくなってしまう。
最近はそんな風に全てを見据えた上での個々の行動や、節度を求められるような事が多くあるように思う。
 
そしてそれぞれの「個」のひとつである私。
私、ぬっこ自身どうなのか?
・・・何となくここ最近立ち止まり迷走している感もあるけれど、それでも毎日を生活している。
多分。それでいいんだと思う。
今はそういう時期。総じて前進出来ればそれでいいんだと思う。
 
小難しい事は抜きにして、(ここまで言っておいて全部ひっくり返すのもどうかと思うが)
あぁ。春だな、と感じさせられる昼下がりの出来事。
うちの方もちらりほらりと桜がほころびはじめて、ちょっと足を延ばして出かけたい気分。
お天気が落ち着くのを待って、電車に乗ってどこかへ行こうかしら。