日々是好日

日々是好日、という言葉がある。
信心深い訳でもないが仏教的には、今日という1日はなくて
その瞬間瞬間を「日々」と呼んでいるのだと思う。

例えば、同じようなシチュエーションがあったとしても、
その日々の考えに照らせば同じ事じゃない。
前に同じ状況で失敗したからと言ってまた失敗するかといえば、
必ずしもそうではない。
同じ私が同じ状況に再び置かれたとしても、
結果は必ずしも同じではない。

何にもない1日、ありがとう、と何かに感謝しながら床につく日々があった。
それから数ヶ月経った今、気づけば逆に何かないかな、と探している日々。

もっとも「何か」と言っても、今暮らす私の小さな小さな世界での話。
芽は出たかな、育ったかな。
ツバメは巣に入ったかな。

毎日をおっかなびっくり過ごした日々から、
淡々と毎日を過ごせるようになったんだな、と。
ちょうどここ数日、私にとって振り返りの時期のようで、ふとそんな事を思った。

瞬間瞬間に、常にベストを尽くす程の一生懸命さはない今、
ただただ過ぎ行く時間を過ごしている。

それでもいいんだろうな。
いや、いいかどうかは、今の私が決める事。
今まであまりに一生懸命、全力投球過ぎた私、
力の抜き方の勉強中…といった所だろうか。