「まだ5つ」と思うか、「もう半分も」と思うか

歴史に残るんじゃないかと思うほどの、くだらない茶番劇を目にした今日の昼下がり。
政治の話はよく分からないけれど、分からないなりに、分かる事はくだらない、という事。
これが絵空事ならいいのに、
自分が属する国の上の方でモジャモジャ起きているというのが残念な現実である。
そんなテレビから流れてくる出来の悪い茶番劇を見ながら、全く関係ない事を考えていた。
 
例えば10個のうちの5個、何か手に入れたものがあるとする。
それを、「まだ5しかない」と思うのか、「もう半分も手に入れた」と思うのか。
捉え方によって、その時の心境は大きく違うだろう。
 
「まだ5しかない」と次への情熱を傾けるといえば聞こえはいいけれど、そこに満足感はない。
むしろ「まだ半分しか」という焦燥感すら感じるだろう。
「もう半分も手に入れた」と思うのならばその場の満足感と幸福感は感じられるけれど
その先への情熱は前者よりも少ないだろうし、向上心は前者よりも低い。
果たしてどちらがいいのか?
 
多分これは禅問答みたいなものでそれに答えはない。
どちらも一長一短だし、多分それは考え方なので、正誤を問う話でもない。
ただ今までの私の生き方というのは、「まだ5しかない」と思う生き方をしてきたんだと思う。
常に先にある何かを求めて動くことで、今ある幸福感を、ないがしろにすらしてきたのかもしれない。
もう半分も手に入れたんだ、とにんまりほくそ笑む瞬間があっても良かったのに。
 
今の私は、「まだ5つ」とも、「もう半分」とも思っていない。
そもそも何かを手に入れるような、あくせく動いている訳でもないのだから。
だけど、そう思わないのは、決して私が変わった訳ではなくて環境がそうさせているだけ。
ガツガツ働く場に戻ったら私はまた同じように小さな幸福感をないがしろにしてしまうのかもしれない。
多分今の私に課された宿題は、次の仕事を探す事よりも、そこにある。
随分と難しい宿題である。
 
こんな生活をいつまで続けるのかと笑われそうだけれど、始動にはまだ早いと思っている。
体調も時に落ち込む事もあれば、そうでもない事もあるものの
動こうと思えば、出来ない事もないし、もはや療養生活でもない事は、
周知の事実なのだけれど、もう少しお暇を頂いてもいいかな、と。
こんな生活で季節をひと巡りさせても良かろうかと。
どこまで休む気なんだ。神のみぞ知る、うふふ。
 
ところで…手に入れて、にんまりほくそ笑むような物って何だろうか。
大きなものなのか。
両手にすっぽりおさまるようなものなのか。
いろいろ想像してみたのだけれど、しっくりくるものが見つからない。
あなたは、「まだ5つ」派ですか?それとも「もう半分」派ですか?