大丈夫の黄金比
体調を崩した時というのは思うように身体が動かずにやきもきするものだ。
そして休みを頂き、充填するたびに、私は再生した気分でいた。
そして休みを頂き、充填するたびに、私は再生した気分でいた。
でも、違うんだと思う。
「うん、もう大丈夫。」何度そう思い、何度自分の身体に裏切られたことか。
でもそもそも「身体に裏切らた」と自分の体力気力のなさを呪ったけど
身体の声に耳を傾けられずに無視したのはこの私自身だ。
もう大丈夫、確かにそう思っている瞬間は本当に大丈夫なんだと思う。
でも「大丈夫の黄金比」はすごく難しい塩梅で、
でもそもそも「身体に裏切らた」と自分の体力気力のなさを呪ったけど
身体の声に耳を傾けられずに無視したのはこの私自身だ。
もう大丈夫、確かにそう思っている瞬間は本当に大丈夫なんだと思う。
でも「大丈夫の黄金比」はすごく難しい塩梅で、
過信するとすぐに崩れ去る類のものだ。
再生したんじゃない。
リフレッシュして、その都度脱皮したようなものだ。
再生したんじゃない。
リフレッシュして、その都度脱皮したようなものだ。
ただ、身体の声を全て聞き入れていたら、
それこそ…
疲れたから今日は仕事しない。
お腹減ったから今から仕事を中断してご飯食べる。
仕事しながら、そうもいくまい。
でも無視しても大丈夫な類もあるだろうし、
ちょっとだけペースダウンするという方法だってある。
お腹が減っていたら、飴を食べるとか何か食事までの繋ぎで間食したらいい。
要するに身体の声と今自分が社会的に自分としてやっていく為に
我慢しなきゃいけない事の折衷案を出すということ。
何でもかんでもそうだけど、「全てやるか、全てやらないか」なんて何も白黒はっきりしなくたっていいんだ。
今回の脱皮に気づかされる事は多い。
至極当たり前に出来ている人にとってみたら、
何をいまさら言ってるのかさっぱり分からないと思うかもしれないが、
それに気づけない、または分からなくなってしまったのが私なのだから仕方がない。
食事する事の大切さ。
いつしかただの補給作業にしかなっていなかった食事。
倒れて一歩も動けなくなる直前の私は
忙しい朝は、コンビニで買ったパンを頬張りながら出勤し、
少しでも睡眠を取りたいがために毎日カレーライスを流し込むようにして食べていた。
夜もそう。自分で作る気力なんてないから、コンビニのお弁当をもしゃもしゃ食べて追われるように就寝。
ご飯って噛めば噛むほど甘いんだ。
そんな簡単な事も忘れてしまうほど忙しかった私。
休むという事の大切さ。
ただ、寝るだけじゃない。
どこかに出かけたり、青空をふと仰ぎみたりする心の休息を取る事だって必要だった。
雨降りの雨滴がこんなにキラキラと輝く事すら忘れていた。
そして、普段から無視し続けてきた私には身体の声を聞くことがなかなか難しいということ。
時には、自分の身体の声を100%聞き入れて甘えてもよいということ。
脱皮して、全く違う形態に生まれ変わる類の生き物がいる。
チョウチョだったり、トンボだったりセミだったり。
私は脱皮したからといって華麗に動き回る訳じゃない。
それは幻想でしかないし、第一私は人間だもの。
脱皮したって、ぬっこは、ぬっこだ。
まだまだ不安定で、ふとした瞬間にグズグズっと崩れるような脆さと危うさを持ちながらも
少しずつ、少しずつ、である。
再生に向けてのもう何度か脱皮が必要だと思うけれど、それでも少しずつ前に進んで行こうと思う。