秋風に吹かれながら身の振り方について考える

気が付けば秋の風。
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のそりのそりと台風が居座って、気まぐれな風と気まぐれな雨を降らせ
日本列島に大きな爪痕を残して去っていったけれど
空を見上げれば、夏鳥であるツバメはいつしか南の国へと旅立ち、
代わりに、冬鳥であるムクドリの群れが戻ってきつつある。
柿はたわわに実り、少しずつその実を大きく太らせ、
稲穂は黄色く実り、少しずつその頭を垂れつつある。
BGMはいつしかカエルの声から虫の声へ。
 
あえて記事にすることを避けてきたことだけれど、私は働いていない。
体調を崩したのが去年の秋のこと。
ニュートラルコーナーに戻って休むには少し長いお休みを頂いている最中だ。
体調はといえば、調整はほとんど付いたと思う。
ただ、動き出すには一気に元の立場に戻るのではなくリハビリも必要だ。
1年休んで脳みその回路も勘も随分と鈍っていることと思う。
 
さてと。そんな私は…最近よく考える。
始動について。身の振り方について。
今月を終えると、仕事から離れてちょうど1年が経つ。
私の夏休みもそろそろ終わりにしてもいいかと思うけれど、じゃぁ何をするのか?どうするのか?と。
各地でホテルの仕事をしてちょうど10年。そして1年休んだ。
仕事の立場としては新人扱いからいつしか中堅扱いとされてきた。
生涯どういう形かでホテルの仕事に携わりつづけたいとも思う。
 
でも1年実家に住んで見えていた事といえば、年を取っていく両親。
このまま、よその地で好きな事をしていていいのか?
私はこの土地で暮らす方がいいんじゃないか。
そんな事も考える。
 
揺れる想い、それはずっとずっと抱いている事で
(私得意の)衝動的に思うのではなく、じわり、じわりと考えてきたこと。
 
ところで、この生活をして新しく抱く夢はベーコン屋さんになることだ。
でもそれを生業とするにはまだまだ修行が足りないし
お世辞にもそれは今実現できる話ではないと思う。
 
そして今興味があることはアグリツーリズム
アグリツーリズムとは「農村・農場への旅行、滞在型の余暇活動」という意味。
里で暮らし、野菜とともに向き合う中で、「ただの余暇」として旅行をするのではなく
畑で実る野菜や食卓にのぼる野菜を実際に目にするってすごくすごく大事な事。
 
日本での旅行というのはあくまで非日常を求めて温泉につかってゆっくり過ごす事。
でも、せっかく行った温泉地で冷凍食品を口にするのはどうかと思うのだ。
実際のところ、多くの「格安」と言われる旅館、ホテルで出される料理のほとんどは
ファミリーレストランのように、遠い土地のセントラルキッチンで作られたものだったり、
大手の冷凍食品会社が、ホテル旅館向けに作った懐石料理。
今では、腕の立つ調理師がほとんどいなくたって、料理が出せてしまう世の中だ。
食材がすぐ傍にある、顔の分かる野菜。
そこに来られなければ食べられない、その土地にきて良かったと思えるような旅行って、素敵だ。
それでこそ、旅行の醍醐味ではないかとも思う。
 
長い目で見たライフワークが生まれたことは私にとって物凄い収穫。
そして、私に今まさに課そうとしている命題は、
意外とこの先の道筋を揺り動かされる大きな事だったりもする。
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でも、そんな命題を前にして…不安よりも期待の方が大きかったりするのは
嵐の前のワクワク感と一緒なんだろうか。