わらしべ長者と人生の等価交換

さてさて長い行脚を経て栃木に帰ってきた。
ところで、何故にして今回決めたその職場を見つけたかというと…。
求人票を見て、決めた訳でもなく、インターネットで探した訳でもない。
夏にベーコンの肉を探し求めて栃木県内の牧場直営のお店に赴いた事がすべてもの始まりである。
そして数か月、自分の燻製の方法だったり壁にぶつかる度に肉屋さんに相談していた。
その後、肉屋さんから1軒のハムソーセージ店を紹介してもらう事になる。
そこに通うこと数回、その方のお師匠さんが生ハムの仕込みに来たところで
私を紹介してもらい、そのままそのお師匠さんの元に弟子入りする事となった…訳だ。
まるでわらしべ長者みたいな話だと私は思っている。
 
「人の繋がり」がすべてもの繋がりだと私は思う。
接客でもそうだけれど、仕事上とはいえ人と人とのつながり。
モノづくり、食品づくりでも、結局はそれらのモノや食品を介して人とつながる。
私たちは人であ以る上、人とのかかわりなくしては生きていけない。
需要と供給のバランスの元で、人は何かと等価交換しながら暮らしている。
 
もちろん等価交換、私自身今の道を手に入れる為に失うものもある。
栃木での快適な暮らしと、大好きな車を都内に持っていけない事。
そして新天地に飛び込むという未知数の可能性を手に入れたと同時に未知数のリスクも背負った訳だ。
人はいついかなる時も、何かを得たり失ったりしながら生きている。
それが嫌なら耳と目を閉じ孤独と付き合えばいい。
 
だけど、それらを鑑みても、私は今の可能性に賭けたい。
 
意外と決めてみたら、すっきりした。
ここに至るまでの間、友人に泣きついて電話し、いい歳をして親と喧嘩をし困らせ、
都内の家事情の厳しさに暗澹とし、家が決まらない中で職を決めてしまう暴挙に出た事で不安にさい悩まされ。
不安でたまらないので、不動産屋を闇雲に回り見た物件10軒以上。
帰り際ギリギリでぬっこサイズの小さな部屋を見つけて帰ってきた。
 
友人は言った。
自分で何でも決めて動くのはいいけれど自分ひとりの人生ではない、と。
確かにそうだと思う。
私の周りにいるたくさんの人たちを巻き込んだうえで、
私が苦しめば同じように胸を痛める人がいてくれるということ。
そんな人の存在のありがたさを、今回(も)ひしひしと感じた。
皆さま、たくさんのコメントを本当にありがとう。
明日ゆっくり返信いたします。
 
荻窪ラーメン巡り(忙しい中でもそれだけはしっかり笑)と松本酒場放浪、
次回はそんな記事になる予定。