幾つになっても変わらない

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朝1の高速道路のドライブ。
今日は出勤前にどうしても行かなければいけない所があって、
無理を言って出勤時間を遅らせてもらった。
用事があっての移動だけど、
朝のガラガラの高速道路は最高に気持ちがいい。
出勤のラッシュ時間真っ只中だというのに、
リゾートの平日の高速はいつもこんな感じ。
週末となればこの道がテールランプの列が連なり大渋滞なのだが
この気持ちのいい速度感を感じながら走る道が、
あの悪夢の大渋滞の道と同じ道だなんて考えられない。
用事があろうがなかろうが、やっぱり私はドライブが好き。

車の中の仕切られた狭い空間
風を切る音
タイヤが路面を転がる振動
流れていく景色
土地土地で変わる風の匂い
私が好きな物。泣こうがわめこうが、大声で歌おうが、そこは私だけの場所。
車は私の指示通りにキビキビ走ってくれるしどこにでも連れてってくれる。

往復180キロのドライブを終えて、そのまま出勤しようと思ったけど、まだ少し時間がある。
会社から車で10分ぐらいの所にある滝でお昼ご飯を食べてから出勤することにした。

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私は水がある場所が好きだ。
湖、川、滝、海、池、なんでもいい。
その吸い込まれそうな鏡みたいな水面を眺めたり、
水の流れる音を聞いたり、とうとうと流れる川の行く末を考えたり。
何となく悲しかったり
いろいろ自分の中に鉛みたいな重荷がのしかかってきたとき、
それらを全部きれいさっぱり流してくれそうな気がする。
うまく気分転換が出来ない自分の、気分転換法。
この時間があるから私は笑って毎日をハッピーに過ごせる。

ずっとずっと前に書いた事があるが、『1/fゆらぎ』というリズムがある。
規則性のない、雨音や、川のせせらぎ、滝がごうごうと落ちる音。
それらは音楽でいうとラジオのノイズの「ザー」という音と、
メトロノームの規則正しい音とのちょうど中間にあたって、
不規則さと規則正しさがちょうどいい具合に調和している状態。
1/fゆらぎは、人の体と同じ波動で心地よく感じるもの。
だから自然の音を聞いていると何となく落ち着いた気分になるんだと思う。
その音にはリズムもバラバラだし旋律もないけれど、それは多分人にとって最高のBGM。

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音楽的な心にとってはすべてが音楽である
ふるえ、ざわめき、鼓動するすべてのもの
陽の照り輝く夏の日
風のそよぐ夜
流れる光
星のまたたき

小鳥のさえずり
虫の羽音
木のふるえ
なつかしい、あるいはいやな声
家庭の聞き慣れた物音
扉のきしみ
夜の沈黙の中に聞こえる血管をふくらます血液の音
およそ存在するものはすべて音楽である
問題はただ、それを聞きとるということだけである
さまざまな存在のこうした音楽はクリストフの中で反響していた
彼の目にとまるいっさいのもの
彼の感ずるいっさいのものは音楽に変わった
彼はまるで羽音がぶんぶん唸っている蜜蜂の巣のようだった
だがだれ一人それに気づかなかった
だれよりも自分自身が気づかなかった
ジャン・クリストフロマン・ロラン

そういえば小さい頃から私は周りにある音が全部音階に聞こえた。
救急車の音は「シーソーシーソー」と聞こえたし
家中にあるグラスや茶碗に水を張って、それらの端を叩いて
これはミ♭だとかファ♯だとかそんな事ばかり言っていた。
多分私は人よりも少しだけ音に敏感で、音を大切にして生きてきた気がする。
子供の頃の感覚は大人になって大分薄れたけれど、これからも多分そうだ。

滝壷に水が落ちる音を聞きながら、これから仕事だということもすっかり忘れて
そんな事をずっとずっと考えてた。

ちなみに、今日は制服にヒールのパンプスというありえないいでたちで滝壷に赴いた。
制服でそんな場所で1人川のど真ん中の大きな石に座り込んでオニギリを食べる姿は
多分客観的に見ればかなり違和感を覚える光景で
しかも当然足場が悪い場所でそんな靴でいい訳がなく、こけて手首をひねった。
…相変わらずのオチ。多分もう10年以上同じ事を繰り返してる気がする。