結婚するってどういうことだろう

年齢的にちらほらそんな便りが周囲から聞こえる歳で、やはり人並みに考えたりもする。
かといって自分自身にはまったくもって現実味がなくて想像も出来ない。

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この時期は婚礼のシーズンで
週末毎に結婚式を挙げるカップルが来館する。
幸せそうな2人。
張り詰めた空気。
2人で生きていく決意を新たにする儀式。
花嫁さんは綺麗だし、
その厳粛な儀式はいつみても鳥肌がたちそうになるけれど。
やっぱり自分がその場に立つとか立たないとか自分の事になると一向に想像出来そうもない。

夢も希望もない話をすれば、結婚といえば書類上の契約。
日本に昔からある家制度みたいなものは、薄れたとはいえ今もやはり全くないとは言わない。
その契約とともに互いのバックグラウンドである『家』も一緒に付いてきて
2人の話だけでなく家同士の話になる。
例えば全然会った事のない親戚と呼ばれる人の冠婚葬祭に出なきゃいけないこともあるかもしれない。
その契約を交わす事で何か互いの意識として変わる事はあるんだろうか?

私は昔々世の中的に同棲と呼ばれるような生活をしてた事がある。
要するに結婚生活と変わらない。違うのは書類上の契約をしてなかったこと。
普通に朝起きて仕事に出かけ夜寝る生活の中に相手がおり、それが当然だった。
でも当然になり過ぎて、わざわざ結婚するとか相手の家に入るとか、そういう必要性を感じなくなり
その後転職して同棲を解消することになり、
気が付けば風化するみたいにして一緒にいる必要性自体見出せなくなり
そのうち関係自体がふっと消えてしまったように思う。

話がそれた。
一緒に『生活をする』こと=結婚なのであれば、そこに契約は必要なんだろうか?
当然のこと、とか、世の中的に、とかそういう常識の話でみんな結婚するんだろうか?
結婚のカタチは今は人それぞれで、女性が家庭に入る人もいれば共稼ぎの人もいる。
両親と同居する人もしない人もいる。
結婚した友達の中には、本当に好きな人は別にいるのだが
生活力のある安定した生活を望み別の人と結婚した人もいる。
安定のために結婚をするんだろうか?

子供が居れば、法律上その子の両親になるために結婚する必要があったりするのかもしれないし
今の私の話はどうでもいい憂いなのだが。

そもそも意味なんて考えちゃいけないんだろうか?
夢は寿退社と公言する人もなかにはいる。
結婚に夢を見るって何故だろう。
それはゴールでなく、その互いの関係の上での通過点なんじゃないだろうか。
いい歳してそんな事考える私は阿呆だろうか。