人の死で考えた

祖母はどうやら結構偉大な人だったらしい。
武士の名家に生まれた明治の人。いろいろ生前の功績を聞いてみてびっくり。
そそっかしくて抜けている風でいて、実は状況を静かに見ていた祖母。
肩書きも功績も生前鼻にかけなかったし、その頃の話なんて生前しなかったけど
まさに脳ある鷹は爪を隠す、ということか。
この数日で90数年連れ添った名前から、
覚えきれない程の長ったらしい称号みたいな見たこともない大そうな戒名を付けられ
若い頃はすごく美人さんだった体は1時間足らずでわずかな灰と骨になってしまったけど
それぞれの胸の中には残り続ける。

こういう時にしか会わない親戚も大勢いる。
そしてなんだかすごく考えさせられた。
自分は何のために生きていて、何のために仕事してるのか。
これからどうやって生きていくのか。
人が集まればそこにそれだけの生き様がある。
若くしてご主人を亡くし、女手ひとつで子供を育て上げた祖母の血縁の親戚。
仕事だけが人生じゃない、と彼女は言い切った。
仕事に奔走して携帯を首から下げ、まるでお葬式どころじゃない人や
日々の激務に脳梗塞で若くして倒れた人もいた。
そして私も体調無視で仕事に振り回されている。
これでいいのかな、と。
お葬式が終わった今日は1日寝て過ごした。
それだけ疲れているということだ。

明日からはまた仕事。
そんな風に考えた事も忘れてまた仕事に振り回されるんだろうと思う。
でも、考える機会を与えてくれた祖母に感謝。