休み7/10 感傷的な昼下がり

実家にはちょくちょく帰っていたのだけれど、
去年まで住んでいた土地に足を踏み入れたのは、引越しして以来7ヶ月振りのこと。
辞める時にいろいろあった忌まわしい出来事を思い出したくなかったというのも
足が遠のいてしまった理由の一つだったのかもしれない。
とにかく久しぶりである。
走りなれた道なのに、その道がどこに繋がっていて、どう経路を取ればいいのか
性能の悪いナビみたいに頭の地図を起動するのもいちいち時間がかかる。

私の元直属の上司とお昼を食べる約束をしていたのだが
ホテルをチェックアウトしてから約束の時間までは2時間程ある。
天気もいいので慣れた道を鼻歌交じりでドライブ。

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山がキレイに見えるお気に入りの場所。
この道を何度走っただろうか。
メインの街道とは全く別の何でもない田舎道。
多分でももう10年来の大好きな場所。







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一昨年は雪崩で通行止めになった山道を
ぐんぐん車でのぼっていってみる。
雪深い事を覚悟して、
除雪されていなかったり
あまりにひどかったら引き返そうと思っていたのだが
暖冬のせいか拍子抜けするほど道路に雪がない。
この川で去年引越しが決まった後の
夏みたいに暑かった6月のとある日に、
同僚と子どもみたいに洋服をずぶぬれにして
何もかも忘れて大はしゃぎしながら
水遊びをした事を思い出した。
さすがに今は雪で川まで降りる道も閉ざされていたので
道の上からその様子を眺めていたのだけれど
あの時に見た透き通ったエメラルドグリーンの川底と全く変わらない様子。
川で馬鹿みたいに大はしゃぎして遊んだ事なんて、
あれから今まで思い出す事すらなかったのに
なんだかスルスルといろんな記憶がよみがえっては消えていく。

その後も山道を走りながら、何故だか知らないけど涙が出た。
私はひとときの出来事を忘れたいと思い続ける事で
ここで暮らしたその他の沢山の大切な大切な思い出まで
無意識のうちに忘れ去ろうとしてた事にふと気づいたからだ。
それは間違ってる。
新しいこの土地で、私は新しい環境の下、新しい人間関係に囲まれて仕事してる。
だけど、今の私は延々と続いてきた時間の元で出逢った人たちに支えられここにいるんだ。

これからも私の取り巻く環境はどんどん変わっていくだろう。
私自身も変わっていくと思う。
だけど山も川も、この景色も、多分私がおばあさんになっても変わらない。
そしてそこに暮らした記憶も出逢った時間も
たとえそれが胸の中でセピア色の思い出に変わってもその時々の私の中で生き続ける。
そして、出逢った人たちを私はこれからも大切にしていく。

久々に会った上司は、3月に横浜に新規出店するカフェの準備に追われてひどく忙しそうな様子だった。
私が働く職場の事やいろいろな事を話す私は、
まるでお母さんに学校であった出来事を熱っぽく話す子どもみたいで
それを聞いてくれる上司もまた、
母親みたいに優しい笑みを浮かべてうんうん、と相槌をうちながら話を聞いてくれた。
あっという間の3時間。

帰り道に思った。
私は自分から誰かを誘ってどこかに出かけたり会ったりする事は実は今までほとんどない。
環境が変われば会わなくなる人もいるし、そのうちに疎遠になってしまった人たちも沢山いる。
何億もいる人たちのうち、自分が一生の間に出逢える人なんて本当にほんの一握りの人しかいない。
偶然の積み重ねで出逢い、そして縁があって一緒に働いたりぶつかったり笑ったり怒ったりした
その人たちを私はもっと大切にしなきゃいけない。
多分また仕事が始まれば日々の業務だったり抱えた仕事に忙殺されてそんな事考えたりしないだろう。
だけどこんな風に立ち止まって振り返って自分のいる場所を再確認する時間ってきっと大切。

木曜日からの外出続きで、4日間の走行距離は1000キロをゆうに越える。
久しぶりの迷走でなんだかとっても大切な事を思い出した気分。