リアリティバイツ・現実に噛み付かれる

万引きで捕まったという恥ずかしい犯罪歴が付いたウィノナライダーが
若かりし頃出ていた映画のタイトル。

日本語に訳せば『現実に噛み付かれる』

浮かれた学生が社会に出てその荒波にもまれるうちに
現実に気づかされ、そしてその厳しさに直面する、そんな感じだろうか。
それに対しては、挫折だとか妥協なんて対処で乗り切っていくのかもしれない。

私自身、今でも噛み付かれ続けているように思う。そう、今ある自分の現実に。
いつまで経っても、現実味のない私。
そもそもその『現実味』、って何だろう、とそれすら分からずにいる。

こんな私だが来月の初旬に30歳になる。
小学生の頃、夜中の2時に真っ暗な部屋で肩にりんごを乗せて(だったか?)
鏡を見ると、大人になった自分の姿がそこに映る、という
意味のわからないまじないごとみたいなのがあった。
誰がそんなもんを試すかよ、と子どもながらに胡散臭く感じる話だったし
仮に実行したとしても、それはそれで見えてしまったらそれは間違いなく幻覚でしかないのだが、
その子どもながらに考える30歳の私は、
(子どもだった)自分が歩み進んだ同じ人間とは思えない程
考え方も生活もしっかりしていて、
スーツ姿にハンドバックを持ち、
カツカツ仕事をしているようなイメージだった。

だけど、現実の、このまもなく30歳を迎える私は、
確かに仕事はしているけれど、
自分で働いて得たお金は、食べたいものや行きたい場所へのガソリン代として消える事が多く
ひとり身軽な生活に慣れてしまったせいか結婚とは何ぞやなんて考えも及ばない。
むしろ家庭を築きたい願望なんて今現在微塵もない。

山に出かけて渓流を見つけたら、とりあえず足を浸さずにはいられなかったり、
トンボやセミを見つけるととりあえず捕まえようとする。
実った赤い実はとりあえず口にいれてみる。
クローバーが足元に生えているとしゃがみこんで四葉をせっせと探す。
そして探して摘んだくせにその後どうしていいかわからず
とりあえず手元にある本に挟んで片っ端から押し花にする。
(だから私の本には四葉のクローバーが無数挟まれている)
夜中に無性に海がみたくなり帰り道の労力に自分の体力が持たない事も知っていて
突然何時間もかけて無謀なドライブを敢行したりする。

これが今、私が例えば結婚して家庭を持っていたとする。
一家を切り盛りするお母さんがドライブに行きたい!と
夜中ふらりといなくなってしまうなんてありえない。
朝、誰が旦那さんを起こすんだ?子どものお弁当はどうする?!(勝手に妄想)
いずれにしろ、一般的にもうこの歳でそうしていてもおかしくない、結婚をして子どもを持つという生活は
家庭を守るために切り詰めたり、
また自分のために使う時間というのはそう多くないのだろうとも思う。

要するに、純粋に自分のしたいことに忠実でいたいのだ。
悪く言えば、この言葉に尽きる。私は幼稚だ。

仕事をしているときが唯一私の現実で、傍からみて一応大人だと言える姿。
つまり現実。
思う通りに事が運ばずやきもきしたり、意図しない事で叱責される事になったり。
いつも文字にして自分がこの仕事にどう対峙していくのかを書き連ねているけれど
当然普段からそんなお題目を唱える事はないので、
あなたのサービスは、サービスなんかじゃない、と
オペレーション思考でしかない頭でっかちのヤツに言い放たれて、悔しくて打ちひしがれたり
アンケートに『眉毛太女』なんて私のことが揶揄されて書かれていたり
あなたの行動は戦略性に欠けている、なんて的を射た一言で上司に叱責されたり
こうなりたい、こうしていきたい、という思いとは裏腹な事実に
がぶりがぶりと容赦なく現実に噛み付かれ続けているというのもこれまた事実だ。

年齢はただ重ねた年数でしかない。
勿論その間に負った幾つかのスネの傷もあるし
都合のいい言い訳や逃げ口上もうまくなるだろうけど
多分いくつになってもふらりふらりとした
子どもみたいな心を持った(もとい幼稚な)大人なんだと思う。