たまには眠れない夜もあるわけで

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私はよく『私は私だ』という。
自分の選択や決断が普通じゃなくてもいい。そういう意味だ。

だけど、当たり前だが決して皆が皆、そういう訳ではない。

人と同じものを好む人もいる。
そして自分とは違うペースを持つ人も、
自分とは違う価値観を持つ人も当然いる。
むしろ変わり者と言われる事が多いということは、
自分とは違う考え方をする人が多いということだ。

こう考えるのが普通だよね、こうするのが普通だよね、という
普通=いいこと、というのが嫌いな私。
普通って何さ、と言いたくなるのだ。
みんなと同じ事は良いことなの?と。

その私は私だ、と言い切るためには、
違う価値観や違う歯車を持つ他者を認める、ということも必要だ。
だけど、それはとても難しいことでもある。

人と関わりを持たずに誰の手も借りずに独りでひっそり自給自足の暮らしをするのなら、
私は私だ、と自分とは違うと思うものを全て排除しても別にいい。
自分の殻に閉じこもって自分にとって快適だと感じるものだけ受け入れたらいい。
だが私は一人で生きている訳じゃない。
いろいろな人と関わりを持ち、持ちつ持たれつで生きている。
その関わりの中で、私は私だと言い切るためには、
相手と違う事がある中でそれを認め受け入れなければいけないような気がする。
違う事に違和感を覚えて排斥してしまっては、
『それって普通だよね』と言う考え方と同じような気がする。

何やら抽象的でややこしくなってきたが
自分を軸にして物事を考えて、違うと思うものは全て受け付けないというのは
自分の主張しか出来ないただの自分勝手のひねくれ者だ。

受け入れるって、自分の考えを曲げることとは少し違う。
また知っているということと、理解しているということも少し違う。
私は私だ、と思ってもその中で相手の違う考え方やペースを理解すること。
必要であれば、相手にとって分かりやすく説明しなおしたり
ときには相手のペースに自分のペースを合わせることも必要かもしれない。

私の周りにいる人たちは、そんな私に対して、
その私独特の人とは違う考え方やペースを理解してくれているんだと思う。

・・・分かっていてもなかなか出来ないんだよな。
・・・ゲストに対しては出来るのにな。(そもそも自分はこうだ、と主張しないからだろうけど)

とりあえず、なかなか出来なくてもやってみる。やり続ける。
自分とは違うペースの人であろうが、自分とは考え方が根本的に違う人であろうが、
関わりを持とうとすることは諦めない。
これ、もう5ヶ月過ぎたけど、今年の課題にしようっと。

時にはあれこれ考えて眠れない夜。
考え事をしていたらお腹が減った。
お夜食に月見うどんでも食べようっと
(もうこんな時間!朝ごはんのような気もする。冷たいうどんにして納豆追加しようかな)