シンプルにいこう

当然のことだが、行動には必ず理由があると思っている。
でも一方で衝動的に行動して自分でもなぜこんなことをしているのか分からない、と
混乱することもある。
そういうときって直感的だったり本能的だったりして、大抵理性的な考えに基づいた行動ではない。
それゆえに行動は既に起こしているというのに、
自分はなぜこんなことをしているんだろうと考えてしまうことも少なからずある。

だけど、頭で考えてみてそれがたとえ理に適った行動でなくとも、
そのとき自分がそうしたかったんだから、それでいいのかな、と。
そんな事を思いつつも、時には、
いい歳をして人前で手もつけられないほどしゃくりあげて大泣きして困らせたりもするし、
何をするにしても度を越せば分別をなくしたただの子供だが。

自分が「今」どう思い、どうしたいのか。
それがたとえ結果的に失敗だったとしても、後悔はない。
だって、そのとき自分がどうしてもしたかったことなのだから。
それはとても刹那的な考え方だと言われるかもしれないが
人は過去に生きているわけでも、未来に生きているわけでもない。
私はそう思う。

自分ときちんと向き合うことって出来そうで出来ないものだ。
自分の人に見せたくない部分だったりウィークポイントだったり、
そういうある意味で自分の暗部みたいなものって人によっても違うと思うけれど
そういう部分もひっくるめて全部が自分なわけで。
病気をして大きく変わった部分といえば、
見ないフリをしたり、そんなはずはない、と否定してきた部分を丸ごと受け入れたこと。
見たくないから見ない、と受け入れようとしなければ何も始まらない。

今までどうしようもなく頭でっかちの理詰め人間だった自分。
自分自身の説明のつかない行動に混乱した私に、友人は私に、どうしたいのか?と問うた。
なぜ、どうして、という疑問はさておき、
自分がそうしたいと思って行動したのだから、それでいいのではないか?と。
きっとそれが立派な理由。もっとシンプルにいこう。

セミが元気に鳴き始めて空が白み始める頃、
朝もやの山道を走りながらそんなことを考えた。


シンプルに、とはいえ、多分最近の私は一般的には開き直り、というような気もします。口癖が「良かろう、」ですから…苦笑