陽だまり探しの才能

強い風が雲を押し流して、快晴の青空。
でも肌に当たる風は身体をぎゅぎゅっと縮こまらせる冷たさだ。
風が吹くたびに肩や背中に無駄に力が入って身構えている事にふと気がつく。
まだ身体は、この冷たい風には慣れてくれていないが、季節が秋から冬へと変わろうとしている。
暦の上でも、もうまもなく師走。当然といえば当然だ。
 
今日、2ヵ月ぶりに会社に赴くことになった。
正直気乗りしない。いや、正確にいえば気分の問題以前に昨日から体調が非常に悪い。
頭の先から足の先まで断固拒否の様相…。
こうなる事は予想していたので移動でパワーを要する分、無用な体力の消耗は避けたかったのだが・・・。
先週から郵送で手続き書類を送ってくれるようにお願いしたのに待てど暮らせど送られてこない。
どうやらこの書類もやっぱり伝書鳩にくくりつけて飛ばそうとしていたに違いない。
いつぞや国会で、「牛歩戦術」なんて言葉が流行語になった事があったけれどまさにそんな感じ。
あぁ、そうですか、そういうことですか、という訳で渋々重い腰を上げてアポイントを取った次第。
 
実は、ここまでに自力でどうしていいのか分からず、労働局、労基署、社会労務士、役場、健康保険組合
とにかく思い当たる場所のあちらこちらに電話して、
自分に不利な条件をうっかり飲んでしまわないように問い合わせてきた。
もう無茶苦茶なミラクルは起きないと思うのだけど、
それが起きるからまたミラクルなブラック会社なんだとも思う。
 
どの面下げて行けばいいのだ、と身体の芯がもぞもぞ、そわそわして落ち着かないけど
大丈夫、取って食われやしないって。
 
昨夜、一緒に働いた皆宛てに一言ずつの手紙と、私が湯河原で撮った海や山や木々の写真を添えて。
そして小さなかわいいお花の形の入浴剤とあぶら取り紙を同封し手作りのさよならセットを作成した。
こんなひどい事をされた会社なのに、餞別品だなんて、
いったい私は何してる?どこまでお人よしなんだ?と
ひどく自虐的な気分になったものの、悪いのは会社環境であり、
一緒に働いてきた、ある意味私同様の末端の人達には何ら責任はない。
むしろ私が戻らなくなった事で穴は埋まらない分、皆壊れる前の私みたいに
毎日ただただ、目の前にある膨大な仕事に必死に取り組んでいるだけだ。
(結局人は見つかってないそうで。)
皆にとってみれば、しばらく前からいない私は多分もう既に過去の人になりつつある。
でも馬鹿付くほど正直で、お人よしの私なりの、
これがお世話になった事への感謝でありけじめなんだと思う。
少なからず世話になり、ご迷惑をおかけし一緒に過ごした事への感謝の気持ちは
今抱える納得がいかない怒りともむなしさとも付かない気分とは関係ない。
これはこれでいい。
「ありがとう」や「お世話になりました」という気持ちは変わらない。
 
今日のにゃんこ。
イメージ 1
昨日の昼間、かまぼこの国のお城近くで陽だまりで
気持ちよく寝ていた見つけた猫。
寒空の下でもちゃんと陽だまりベストポジションを見つけて
気持ちよさそうにうたた寝
 
起こさないように遠くからカメラを向けたが、
迷惑そうに薄目で一瞥をくれた後、
もぞもぞ体勢を変えてまた眠り始めた。
今眠いんだからほっといてくれ、と言わんばかり。
 
あぁそうですか。すみませんでした。
 
この子らは生きる術のひとつとして、陽だまりを探す術もちゃんと心得てる。
その他にも自分が遊んでもらいたい時にどうやって人に近寄ればいいのか。
どこが暖かくて快適に過ごせるのか。
構ってほしくない時の人との距離の取り方。
猫が人間社会でしたたかに生きていく上でのバランス感覚って本当にすごいの一言に尽きる。
 
この「バランス感覚」が苦手科目の私からしてみたら、
彼らは私にとって、そういう「バランス感覚」の師匠だと思う。
 
さて。今日も新しい1日が始まる。
大丈夫。1日は何があろうとも無事に過ぎていく。
そんな風に自分に言い聞かせながら。
 
どんな寒空でもぐっすり眠れる「陽だまり」、私にも探せるよ、そのうちきっと。