髪はすべてを語る

肩甲骨の下あたりまで伸びた髪を20センチほどばっさりカットした。
本当は、爆発的に増えてしまった「白髪」を染めに行っただけだった。
もともと若白髪のたちでもなかったのだが、ここ2年で驚くほど白いものが目立つようになり
最近ではそのまま下ろすのもはばかられるぐらいに
いつのまにか探して抜く、なんて話どころではない程増えてしまっていた。
先日、友人と話した時に「美容院行ってる?!」と。
はて…えーっと。最後に行ったのはいつだったかしら。
そんなダメ出しに後押しされて、ずっとお世話になっている美容室に赴くことにした。
 
もう何年のお付き合いになろうか。
引っ越しても軽井沢からでも箱根からでも通った美容室だ。
そこまでして通い詰める美容室、どんな所かって。
店主氏を一言でいえば、髪仙人…。
どうしたいか分からない、店主氏の理論に合わなければ、
髪を切らずに説教しゲストを帰してしまう、そんなお店だ。
確かに万人受けはしない。
合わない方は絶対に二度と行かないだろう。
だが、合う方はきっと他の店には絶対に行かない。
接客業としては酷いよね、と店主氏は笑うけれど美容院って接客だけじゃない。
私は職人さんの技あってこそだと思う。
その技に魅かれて私は通う。
 
ちょっと1本抜くね、と私の髪を切る前にプチンと1本抜いて
目の前に並べて私の髪の状態を説明しはじめた。
 
店主氏に私の「あれこれあった事」を話した訳じゃない。
だけどその1本には過剰にストレスがかかる生活をした「事実」が刻まれていた。
考えてみれば髪だって私の身体が作り出したもの。
1カ月に1センチずつ伸びる髪の毛を地肌から毛先までさかのぼれば
私のその頃の状態は如実に刻まれている。
店主氏は私の髪を見て一言、こりゃぁ切った方がいい、と。

切るつもりではなかったものの、切りたくない理由もない。
 
あ。そうか。
そもそもスタイリングをどうこうしようなんて考える事すら忘れていた。
仕事を離れた今、きっちり結う必要もない。
だが、もう10年以上おだんご頭かくるくる結いあげた芸者頭
(かんざしをさすせいかそう言われていた)が定番で
そもそも髪を下ろしたり染めたり出来る環境にいなかったせいか
気が付けば髪型を変える事は私の選択肢からいつしか消えてしまい
結いあげる必要がなくなっても、くるくる巻きあげる習慣が付いて
そのうち、髪型をどうしようかな?なんて考えるチャンネル自体が
錆びついてしまっていたんだと思う。
別に丸坊主にしようが、金髪にしようが、自由なんだ。
 
あぁそうね、私、自由なんだね、と
それに気が付いた事に自分自身で驚いてしまい思わず子供のように口に出して言ったら
店主の奥様に笑われてしまった。
いや、すいません。しごく当たり前の事に気が付かなかったもので。
 
さてと。
具体的にどうしたらいいか分からないので
とりあえずいい状態でないひどい部分は全部切ってください!
…思い切ったな、私。
 
というわけでバッサリ20センチ。
もともとが長かったので、20センチ切っても肩辺りまであるし結ぼうとすれば結べる。
でも実際切った後のスタイリングなんてどうしたらいいか…と
チャンネルが錆びついた私に、だいぶ乱暴な説明。
頭を逆さまにして8割方乾かして、後は手ぐしで毛先をくるくる。それだけ。
はい、出来た。
 
な?な、なんと!!!
嘘みたいにゆるっとふわっと頭の完成。
あらま。狐につままれた気分。
コンプレックスのおでこのつむじ(額につむじがある…)は、ふわっと立ち上がる素敵な前髪に。
 
鏡に映る自分を見て、何故だか…背中がむずむずっとする感じで面映ゆい。
うれしいような。
はずかしいような。
もじもじする私。

過去とは、自分の後ろに常について回るものだ。
決して消えはしない。
ふとした瞬間に、ぞくぞくっと嫌な記憶が甦ることもある。
だけどその時をかいくぐった自分がいるからこそ、今の自分がいる。
1本の髪から、髪仙人氏にいろんな事を気づかされた。
お店を後にする時、ありがとうございました、と言われるはずが
「気づきをありがとうございました」と髪仙人氏に深々頭を下げた。
そして、そのお辞儀は、実はしんどかった時期を共に過ごして今日さよならした髪に対しても。
大変な時期を一緒に乗り切ってくれてありがとう、お疲れ様、と。
 
それにしても帰り道の足取りの軽かった事、軽かった事。
こわもての髪仙人氏、恐るべし。