ぬっこ、買い物の楽しさを思い出す

今日は佐野プレミアムアウトレットへ。
買い物の目的は、私がメインではなく母だったのだが
私としては帰り道のラーメンが目的だったので、
本日は運転手、そして母の初アウトレットの案内役として出動。
 
基本的に平日のアウトレットというのは空いているものだ。
赤のダウンベストがどうにも救命胴衣にしか見えない、と
ぼそりと言ったら店員さんに大笑いされ、
これを探している、とイメージを伝えて店中店員さんが商品を探してかき集めてくれ、
更には欲しいサイズないかなぁ…なんてハンガーに掛けられた服を見ていたら
何と棚ごとごそりと壊れて服が雪崩れてきた。
すみません、壊しちゃいました、あの…助けて…と店員さん三人がかりで大騒ぎに。
ちなみにそれぞれ別の店舗のエピソード。
何故だ。何故私がいる周りには何かが巻き起こるのだ。
でも意外とそんな騒動を楽しんでいる自分もいる。
 
スターバックスで、おかわりコーヒーの裏ワザを聞き(お陰で後ろに列が出来てしまった)
何故あんたといるとこんなに店員さんが親切なんだろうね、と母。
多分、これはどうしたらいい?これはどこにありますか?
そんな風に店の方に話しかけて相談したり。
自分で接客をして思うのだが、話しかけてくれるお客は、
その仕事が好きでやっている人にとっては楽しいものだ。
接客販売ってレジ打ちをし、陳列しているだけが仕事じゃないもの。
だから、私は店の人に、自分がたとえ購入するつもりがなくてもいろいろ話しかけてみる。
売る物が服であれ、かばんであれ、コーヒーであれ
彼らはその道のプロなんだから。
(裏を返せば、商品知識に乏しい店員さんにとっては私みたいな客は面倒だろうな)
欲しい物を買いたければインターネットで何でも買える時代。
あえて店に赴く楽しさってそこにあるように思う。
 
接客の仕事を10年。
いつしか私はマイナス査定でしか物を見なくなっていたように思う。
接客態度は?店のクリンリネスは?うーん、あれもダメ、これもダメ。
そんな買い物は、はっきり言って楽しくもなんともない。
だから私はいつしか何から何までインターネットで買うようになったのかもしれない。
その買い物マイナス査定では、プラスに転じる事は滅多にない。
だって相手も私も人なんだから。
私が追い求めていた完璧なんて、そこにはきっと存在しない。
それを自分で追い求め、頑張る事は私にとって意義がある事だったとしても
自分の理想を他人に追求し過ぎるのは、それはただの自分のエゴでしかない。
 
だけど何故だろう。
不思議な事にその「理想と査定」の概念をすぱっと外してみたら
お店の人と会話が弾み、あれこれ相談に乗ってくれ、
何だかすごく楽しい買い物だった。
コーヒーの裏ワザを聞いた後のコーヒーが特別美味しく感じたのは
多分その時の接客してくれた方が入れてくれたスパイスなんだと思う。
そういえば、かつて友人と買い物に行くと、
なぜかいつも店員さんが笑っていた。
私と友人の掛け合いが面白かったからだと勝手に思っていたのだけれど
多分それは違う。
私自身、そのときにマイナス査定なんてしてなかったから。
単純に買い物を楽しんでいたから。
そうか。あれこれ全て仕事として厳しく捉えるうちに、
自分自身に対しては勿論、他人に対しても厳しく接するようになってしまったんだ。
 
切磋琢磨し、厳しく律する事は大切な事だ。
100%、120%を目指して頑張ろうと思うのも、一生懸命やる事も悪い事だとは思わない。
だけど…多分それだけじゃない。
もっと大切な事は「楽しむ」こと。
それは買い物したり美味しいものを食べる事、人との会話、
「それぞれの行為」を「それぞれの立場」で楽しむ事。
言葉にするとしごく当たり前の事だけど、私が随分と長い事忘れていた事。
 
それにしてもこういう、はっとするような気付きって何でもない瞬間に訪れる物だ。