ぬっこ、蒸されながら考える

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昨日紹介した、昭和5年築の「元禄の湯」には、
蒸し湯なるものが付いている。
英訳すればスチームバスだが、まさにそれそのもの。
これが凄いんだ、また。

広さは押し入れ半間分ほどの狭い空間のタイル張りなのだが、
中にタイル張りの寝台が付いていて、その下がぽっかりと空洞になっている。
その空洞に、62度ほどの熱い源泉がとうとうと満たされており、
立て付けがかなり昭和な感じの木の引き戸をガタタタンっと閉め、
タイル張りの寝台にごろんと横になると、
下からの蒸気でまさにそれは個室スチームサウナ、という。

決して熱すぎず、身体の芯から温まり外に出るとさっぱり。
中には電気はひかれていない為に、
木戸を閉めると真っ暗で明かり取り用の小窓から
浴室の光が差し込むだけの薄暗い空間。

水を張った桶を持ち込み、濡らしたタオルで顔や首を冷やしながら
しばしそこで無我の境地に浸る。
これぞ、湯治の醍醐味というものだ。

源泉は肌に良いとされる、石膏泉。
その湯気も、温泉成分100%な訳だから
湯上がりもしっとり。
今朝は、一番湯をいただいてきた。

頭の中を空っぽにする事は、簡単なようでいて難しい事だ。
なんにもしない仄暗い空間でごろりと横になりながら無我の境地には到らず、
ぬっこ的浴衣問題について考えていた。

問題というほどのことでもないのだが、浴衣なんぞ着なれない私、歩くうちに帯が緩む。
裾がはらりとはだける。
いや、それ以前にどうも足が前に出ず歩きにくくてかなわない。


浴衣で、裾がはだけないように歩くには、
歩幅をうんと小さくして歩かなければならない。
普段大股でさっさと歩く私にとっては、
結果、いつもより歩みが遅くなる。
そうか。ゆっくり小さく一歩踏み出したらいいのか。

歩く速さはその人のペースそのものだと私は思う。
昔の人にとっての「普通」はこの速度感覚だったのか、と。
そう考えてみると、昔と比べて現代の人間の歩みは
どれほど速くなったのだろう。

情報の伝達速度や移動手段の発達で、
欲しい情報はすぐに手に入る。
行きたい場所にはすぐに行ける。
それは、非常に便利なことだし、今、なくてはならない事だ。
だが便利と引き換えに大切な「間」のような時間を楽しむことを失ったのかもしれない。
流れに抗わず、たゆたう流れに身を任せる感覚、
少しでも身に付けばいいのだが。

まずは着物がはだけないような、
ゆったりした、淑やかな歩みを心がける所から始めてみようか。