のんのばあちゃんの記憶

お盆だ。

実家は忙しそうなので帰ってないけど、世の中お盆だ。
仕事上お休みもまちまちなせいか、そんな実感がまるでなかった。
だけど昨日は迎え盆。

お墓に入ってる故人の魂を迎え火をたいて家に連れてくるのが迎え盆の日。
それから数日家に滞在して、送り盆の日に故人の魂はお墓に帰っていく。
そんな儀式。
お供え物の中にナスとキュウリに割り箸を刺して動物に見立てるものがあるのだけれど
ナスは牛、キュウリは馬なのだそうだ。
迎え盆の時は馬に乗って、早く馴染みの家に迎える。
送り盆の時は牛に乗ってゆっくりと帰ってもらう。
この時期になると、私はそれを教えてくれた大好きだったおばあちゃんを思い出す。

母方の祖母で、うちではその人をおばあちゃん、ではなく
「のんのばあちゃん」と呼んでいた。
いつも仏様に対しての感謝を欠かさない優しい人で
手を合わせて、「のんのん」と拝む姿を見て私は育った。
だから物心ついた頃から母方の祖母はのんのばあちゃん、である。
同居していた訳ではないのでたまにしか会わなかったが
私はのんのばあちゃんが大好きだった。
いつもお小遣いをくれるときに、子供には多すぎる1万円札をティッシュに包んで
「これで靴下でも買いなさい」と言う。
1万円の靴下ってどんなものなんだろう。
そんな事を思いながら、お小遣いをもらった記憶がある。

数年前、90歳近くなり床に臥したのんのばあちゃんが亡くなる少し前、
仕事を切り上げかけつけて声をかけたら、
ぬっこは大きくなってきれいになったね、と言ってくれた。
いい笑顔だった。あの笑顔、目に焼き付いて忘れない。
それから何日かして亡くなった日、
私の父も母もそして私自身も、のんのばあちゃんを悼んで大泣きした。
それだけみんなのんのばあちゃんが大好きだったんだ。

今のんのばあちゃんは魂になって帰ってきているんだろうか。

余談だが父方の祖父母は音楽の先生でピアノを弾いていたので
ポンばあちゃんとポンじいちゃん。
ちなみにポンばあちゃんは今も健在だ。長生きして欲しいものだ。

お盆なのでなんとなく感傷的。