完璧なシンメトリーに住む住人に思う

雨が降っている。
軒下に数日前から大きな大きなくもの巣が張っており
そのクモの巣には雨どいから落ちた雨滴が付きくっきりと形を浮き出している。
これだけ大きなクモの巣の住人はクモの種類では大型の類に入る漆黒色のオニグモ
クモの巣というのは、なんとなく清掃されていないイメージだとか
歩いていて顔についてベタベタしたりだとか嫌なイメージしかない。
だが、直径50cm程のそのクモの巣は非常に精巧に作られており
その形は完璧なシンメトリーで、眺めていて思わずため息が出た。

その完璧なシンメトリーの住人である、オニグモ
夕方になるとどこからともなくやってきて
8本の足を駆使しながら器用に吐き出した糸を紡ぎ、
壊れた箇所を修復しながら丁寧に丁寧に巣を作っていく。
多分クモに生まれ備わった能力で別段変わった事をしている訳ではないのだろうが
私から見て見れば、ある意味で芸術作品である。

子供の頃、蛾や蝶やトンボやセミがクモの巣にかかったのを見つかると、
『可哀想だから』と棒切れを持ち出してクモの巣をめちゃめちゃに壊し、
ベタベタの糸が絡み付いた、トンボや蝶の羽を綺麗にして逃がしていた事があった。
だけど、クモからしてみれば、日々メンテナンスをしながら
大切に時間をかけて糸を紡いで作ってきた巣を、浅知恵の心ない子供に壊されてきた訳で、
今になって考えてみるとクモだって家を壊され『可哀想だ』ということになる。
可哀想だ、という論理は子供の私の感覚でしかなく、視点を変えればクモだって可哀想。
子供の頃の私は自分の主観でしか物事を考えていなかった。

自分がどう思うか、というのとは別にそれとは違う物の考え方があり
必ず相反する物事の考え方や感じ方があるという事を私は知らなかった。
クモの巣が汚いものだとか、害虫だとかそう思っていたら、その巣は厄介で汚いものでしかない。
だけど、クモの視点でクモの巣を見たとき、その巣はなんて精巧でなんて美しいんだろう。

視点を変えると物事の見方はがらりと変わる。
そういう事ってたぶん私たちの身の回りには沢山ある。