長い長い時を経て

「たんすのこやし」と言われるものがどこの家にも多かれ少なかれあるものだ。
ぬっこ宅も例外ではない。
 
その中から出てきた物…ずいぶん前に亡くなった祖母の大量の着物。
母も私も残念ながら自力で着付けは出来ない。
つまり袖を通される事は永遠にない。
そもそも、虫食いだらけ、シミだらけのこのかつて「着物だった布切れ」は
持ち主を失った時に、着物としての機能は既に終えてるんだと思う。
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遺すのであれば、それ相応の遺し方があろう。
そう思って、少しずつこの着物に手を付けた。
何をするかって、裏地をはずしてひとつひとつ縫い目を解いて着物を反物に戻す作業。

反物に戻せば、洋服や小物に生まれ変わる道も開けるだろう。
 
始めたはいいが…。決して楽な作業ではない。
着物に仕立てるには、こんなにも縫うのか。
それも全部手縫いだ。途方もない。
そしてそれをひとつひとつ解くのも、途方もない。
1着を反物に戻すのには概ね1日がかり。
それをきれいに洗濯してアイロンをかけてくるくる巻いて一工程終了。
 
この着物を解いていたら母から思い出話がポツリポツリと出てきた。
曾祖母が、糸をカラカラつむぎ、カタタンカタタンと機織りをしていた事。
家計を助けるために祖母も働きに出ていたから、母は「おばあちゃん子」だった事。
庭でヤギを飼い、夏はかんぴょうを作り生活し
電話は本宅に設置されていた電話機まで走っていって繋いでもらった事。
 
へぇ。そんな事があったのか。
そうこうしていたら、ほどいていた着物の縫い目からぽろりと爪楊枝が飛び出す。
昔の人は着物の縫い目に爪楊枝を忍ばせて繰り返し使ったとか。
まさか爪楊枝が着物から出てくるとは思うまい。
たもとからは稲のもみがらが出てくる事も。
母の思い出話とともに、着物からはこんな昔の物も飛び出してくる。
 
着物と言っても、決して上等な物ではない。
つぎあてしながら着て、着物として用を終えたら「はんてん」に作り替えられ。
そうして大切に大切に1着を着てきたんだと思う。
ほどいてみたら、擦り切れてつぎあてだらけだった事も。
「もったいない」という言葉がいつしか国際的に浸透するようになった現在だけど
昔の人の「もったいない」精神にはつくづく脱帽させられる。
 
私の記憶にある祖母は着物ではなく洋服を着ていた。
この解いている着物たちはもっともっと昔のもの。
50年以上前の着物が母と娘をつなぐ。
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ミシンを引っ張り出してきて、
端布を縫い繋いでゴムを通し髪留めを作った。
曾祖母が紡いだ生地で、祖母が着た着物。
それが長い長い時を経て孫の私の髪留めになる。
大切にしよう。
この作業が終わる頃、私も本格的に
再起動の準備に入ろうかしら。
 
っていったいいつになることやら。