格差社会の中にある差別

日本って基本的に国特有の宗教もないし基本的に多民族国家でもない。
だから人種差別だとか、宗教による差別だとか
世の中に存在していることは知ってはいるけれど自分が肌で感じることってなかった気がする。
ここのところ、あぁここにもそういうものって少なからずあるんだなぁと感じた出来事があった。

いつもいらっしゃる方々は運転手付きの車でいらっしゃる人が多いのだが・・・。
彼らの運転手さんに対しての考え方、ちょっと疑問に思う事がある。
私にはとんと縁のない世界の話ではあるのだが・・・。
いつも自分達の移動のために運転してくれて、
移動先で仕事なり用事なりあれこれ済ませている間は
じっと駐車スペースで待っていてくれる。
そして自分を乗せてくれるその車をかかさずピッカピカに磨き上げておいてくれる。
彼らがいなければ、自分たちの移動に不便を感じることもあるだろうに、
なぜそんな彼らに敬意を払おうとしないのか、私には理解に苦しむ。

こういうのって格差差別、というのだろうか。

仕事の優劣なんて考えたこともなかったし、
(こんな言い方は好きじゃないが)ブルーカラーだろうがホワイトカラーだろうが
先生だろうが社長だろうが大臣だろうが、正直私には関係ない。
彼らは一人の人間であり、それぞれがそれぞれの持つ仕事をし、そして生活をしている。
確かに日々動かすお金の額がとんでもなく桁外れの人も、
世の中には少数(なのかな?)ながら存在しているのも知っているし、
実際にそういう方々に会う機会もある訳で、
そんな綺麗事ではないというのも分かっているのだが。

私はホテルの仕事をするのに、フロントだろうがレストランの食事の給仕だろうが
部屋の掃除だろうが、草むしりだろうが皿洗いだろうが。
その仕事に上位も下位もないと思う。
でも、きっと一般的にはそうではないと思う人も確実に存在するということ。
よく嬉々として草むしりをしていると(喜んで率先してやる私も変わっているかもしれないけど)
こんな仕事までさせられて大変だね、と業者さんに声をかけられることもある。
別にやらされている訳じゃないし、むしろお気に入りの仕事のひとつだったりする。
植木職人の娘に育った私は、小さいころから父の仕事の手伝いで(お小遣い稼ぎともいうが)
苗の植え付けだったり草むしりだったり、そんな事を日常的にしていた。
だから私にとってそれらの仕事は子どもの頃から慣れ親しんだ仕事のひとつ。
左手の手のひらに出来たマメもいつもの竹ホウキの掃き掃除で出来たもの。
私のがんばった証のひとつ。

でも、ホテルを利用する富裕層のお客様の中には、
私たちを『下位』の人間としてみている人も、もしかしたらいるのかもしれない。

運転手さんとあれこれ雑談をしていると、ぼやきや嘆きもちょこちょこと飛び出す事もある。
でもそれに加えて更に悲しく感じるのは、そこに『あきらめ』の念も入っていること。
別に自分の立場や自尊心のために、立ち向かって戦って欲しいという訳じゃない。
だけどご自身の仕事にもっと誇りを持っていいんじゃないだろうか。
だって決して『下位』の仕事じゃないもの。
彼らだって、安全に、そして的確に運転するプロフェッショナルじゃないか。

差別だなんて大層な物ではないのかもしれない。
だけど、最近仕事であれこれ手配している中での運転手さん達の扱いが
あんまりにもひどいんじゃないか・・・と悲しくなる事があって。

でも、悲しいことに実際こういうのって、なくならないんだろうな。